ネタをやると悲鳴が上がった若手時代
――トム・ブラウンのこれまでについてもお聞かせください。北海道出身で、布川さんはさっぽろ吉本でもピンで活動されていましたが、お二人が東京進出を決めた理由はなんだったのでしょうか?
布川:結成するタイミングで「どうせやるなら東京だよな」って。
みちお:うん。お笑いで本当に頑張るなら、東京に行かなければいけないというのは、どこかにありました。
――そこから上京して、最初はかなり順調だったそうですね。
みちお:そうですね。東京に行って最初の頃は無所属のまま、オーディションに受かってライブに2本続けて出られたりして、“東京、余裕だな!”と思ってました。そこから全然受からなくなってしまいましたけどね。
布川:本当に、どこにもどこでもウケない時期があって、その時期はけっこうしんどかったです。ただ、そのタイミングで演歌歌手の方が多く在籍している事務所さんから「お笑い部門を立ち上げたいんです」ってスカウトされたんですよね。
みちお:そうだった、そうだった。事務所の方がライブに来てらっしゃったんですよね。
布川:当時の僕らにすごく熱意を持って接してくださって。ただ、芸人が自分たちしかいない環境というのが不安だったし、荷が重かったんです。
事務所内で切磋琢磨するような、他の芸人がいる環境がいいなと思って「すみません、吉本に戻ろうと思ってますので……」と嘘をついて断ったんですよね。そのあと、縁あってケイダッシュステージに入ったら、その何か月後に、その方と再会しちゃって。「吉本じゃないんですか!?」って言われて……気まずかったです。
みちお:この場を借りてちゃんと謝ったほうがいいですね。本当にごめんなさい。
――でも、その方は見る目がありますね。
布川:たしかに! 当時の僕らは本当にひどかったんですけどね。
――芸人になってから、“しんどいな、やめたいな”と思った時期はありますか?
みちお:お客さんが笑う、笑わない以前に、ネタをやると悲鳴が上がる時期があって……あれはしんどかったですね。「キャーじゃねえよ」と思わず言っちゃって。
布川:いやいや、思わずというか、かなり本気でブチ切れてたよ! みちおがこの話をするとき、いつもマイルドな言い方してるけど、まじでブチギレだからね。「キャーじゃねえよ!!!!」って。それも怖かったと思うよ。
みちお:これはウケると思って一生懸命に作ったネタに悲鳴があがるのは、しんどかったんですよね。“こうなるだろう”と予想していた反応と、実際の結果が離れていって。本当によくない尖り方してましたね。
布川:徐々にメディアに出るようになったら、悲鳴とかも上がらなくなりました。でもたしかに、得体の知れないキモい二人組が出てきて、変なネタやったら、そりゃ悲鳴も上がりますよね(笑)。
意識が朦朧としたまま漫才をやってました
――お二人の代名詞とも言える“合体漫才”はどのように生まれたのでしょう?
みちお:いまだにはっきり覚えているけど、下北のガストだよな?
布川:……あのね、これ、何度も喋っていることですし、毎回、みちおは「いまだに忘れない」「はっきり覚えている」って言うんですけど、新宿のジョナサンだよ!?
みちお:あれ? そうだっけ?
布川:なんでいつもちょっとずつ場所を変えるの? ボケてんの?
――(笑)。
みちお:まあ、そこで単独ライブの話をしていたとき、サッチっていうコンビの神田(現、神田ワンダーランド)に「設定が普通でボケが飛んでるネタが多いけど、設定からボケてみたら?」って言われて、一休さんをたくさん集めてキング一休さんを作るというネタを思いついたんです。
布川:あれは、かなりデカかったと思います。
――反響はどうでしたか?
布川:めちゃくちゃ良かったですね。2016年のM-1予選で初めて合体漫才をしたんですけど、前の日にライブで一緒だった錦鯉の(渡辺)隆さんから「あれめっちゃいいぞ」って褒められました。だから、自信を持って挑んだんですけど、実際は2回戦落ちで……。「これ、ダメなんか」ってバイト終わりの新橋で結果を知って、膝から崩れ落ちた記憶があります。
みちお:ようやくパッケージが見つかったと思ったのに、2回戦落ちはきつかったよね。
――ショックを受けてからも合体漫才を続けてきたのは?
布川:続けようと思ったというよりは、半年ぐらい惰性でやっていただけでしたね。
みちお:すごく覚えているのが、同じ事務所のサツマカワRPGから「最近、同じネタを30回ぐらいやってますけど、大丈夫ですか?」って言われて。そのときに「あっ! ぜんぜん大丈夫じゃない!」って(笑)。言われて初めて同じネタをやってることに気づいたというか、ずっと意識が朦朧としたまま漫才をやってたんですね。
布川:え!? みちお、あのとき意識朦朧としてたの? 俺は同じネタしてる意識があったけど(笑)。
みちお:あ、そう? 僕はサツマカワに助けてもらったよ。それこそ、2018年のM-1のときも、3回戦で「キングムーミン」のネタをしようと思っていたんですけど、サツマカワが「テレビでもやっているから、ちょっとでもいいから変えたほうがいいと思いますよ」と言ってくれたんですよ。要所要所でサツマカワには助けられています。
布川:ただ、僕的には結果的に惰性で続けてよかったと思っています。厳密にいうと、合体漫才と、もう1つ、その2本をひたすらやっていたんですけど、僕、1つのライブで全く同じネタをやるのが好きじゃなくて、その2本を少しずつ変えてやっていたんです。その結果、少しずつブラッシュアップしていけたのかなって。