全米各地で反イスラエルの学生デモが盛んになり、世界各国へと広がっている。イスラム組織ハマスが実効支配しているガザ地区への報復攻撃で、女性や子どもを多く含んだ一般市民が死亡しているからだ。国際政治学者で中東に詳しい高橋和夫氏に、2006年のパレスチナ選挙でハマスが支持された理由、その当時のイスラエル政府の対応などを解説してもらった。

※本記事は、高橋和夫:著『なぜガザは戦場になるのか -イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ハマスの実効支配が始まってからの市民の反応は?

ハマスはなぜ選挙で支持されたのか。ひとつは「パレスチナ難民の故郷を取り戻すまで徹底的に戦う」という主張への賛同がある。また、福祉や教育活動など、草の根のNGO組織としての市民サービスへの支持もあった。

また、PLO主流派であり続けたファタハへの批判票もあった。ファタハは腐敗していた。オスロ合意以降、パレスチナ自治政府には欧米から多額の援助が入るようになった。それをポケットに入れて、ヤセル・アラファトの周りの幹部だけが豊かになっていった。ハマスはそれを強く批判し、パレスチナ人の多くも怒っていた。

ハマスの資金の流れは明らかではないが、少なくとも当時のガザでは腐敗しているという話は聞かなかった。さらに、1993年のオスロ合意以降、何も良くならないパレスチナの状況に対して、自治政府を批判する意味もあっただろう。

ただ、ハマスを本当に勝たせたいと思って投票した人が、どれだけいたかはわからない。勝てないだろうと考えて大勢が投票した結果、勝ってしまったという側面もあるだろう。ガザには少数ながらキリスト教徒のパレスチナ人もいる。

その人たちは、イスラム法による支配が望ましいと思ってはいない。もちろんそう思う人はイスラム教徒にもいる。また、ガザで人口の過半数を占める18歳以下の子ども、若者には投票権がない。2006年の選挙は、2023年から17年も前のことである。

つまり、現在、人口の大半を占める35歳以下の人はそもそも意思表示をしていない。さらに選挙直後はともかく、ガザでハマスの実効支配が始まって16年以上が経っても、ガザの人々の生活は良くならないどころか、悪化する一方である。もちろん、それはイスラエルとエジプトの封鎖に原因があることは、ガザの人々もよくわかっている。

しかし、その状況を何も変えられないハマスに対して、熱い支持があるとは考えにくい。政権を取ったあとのハマスによる政治は強権的で、批判者への暴力もいとわないなど、評判が良いとはいえない。

2023年7月にはガザ全域で、数千人が街頭でハマスに対する抗議を示した。ハマス政権下ではデモは禁じられており、ハマスの治安部隊によって解散させられたものの、暴力を恐れず抗議をするほど、人々がハマスに対して不満を持っていることが明らかになっている。

もちろん、世論調査によるハマスへの支持率は、他の国の政府と同様に、状況により上がることも下がることもある。特に支持率が上がるのは、イスラエルによる激しい空爆があったときである。

イスラエル政府が、ハマスによる攻撃を支持率の上昇に結びつけてきたのと同様、ハマスもイスラエルと戦うことで支持率を上げてきたという面がある。しかし、かつてないほどの状況になっている今回の攻撃については、どう評価されているのだろうか。イスラエルの侵攻後の調査では、ハマスの支持が増加している。ガザよりも西岸で支持率が高い。

いずれにせよ、ガザでハマスが権力を握っているからといって、それは食料や燃料、医療を止めたり、そこで暮らす人々の上に爆弾を落とす正当な理由とはならない。パレスチナ自治政府の保健省の発表によれば、10月7日から12月28日までにガザで死亡したパレスチナ人2万1000人のうち、7割が女性と子どもである。

また5万人を超える負傷者と多数の行方不明者が出ている。さらに、残された多くのパレスチナ人も、疫病や飢餓のリスクに晒されている。

ハマスを育ててきたイスラエル政府への批判

さらに、ハマスを支援してきたイランにも注目が集まっている。しかし、実際にはガザは封鎖されているので、イランの武器がそのまま入るということはない。ハマスの幹部のコメントを聞いていると、同じくイランが支援しているレバノンのヒズボラという組織のほうが、ハマスよりずっと大きな支援を受けていることに不満を抱いていたようだ。

実際には、イランよりもハマスを憎んでいるはずのイスラエルが、ハマスを育ててきた面があるという考え方もできる。と言うのは、イスラエル政府はこれまで、ハマスを殲滅しようとはしてこなかった。むしろハマスを飼ってきた、あるいは育ててきたという面がある。

なぜなら、アラファト率いるPLOが強くなりすぎないように、対抗勢力を育てパレスチナ人同士を争わせることは、イスラエル政府にとって有利となるからだ。イスラエル側は、パレスチナ国家の樹立を前提とした和平交渉を行いたくない。占領地からの撤退や入植地の撤去についての議論もしたくない。

そのため、イスラエル側にとって、少なくともこれまでは、ハマスが存在することは都合がよかった。パレスチナの政治勢力が2つに分かれていて、交渉主体がいないために、イスラエルとしては交渉したくてもできない、という言い訳ができるからだ。

▲エルサレム近郊の分離壁(2010) 写真:大川光夫 / PIXTA

イスラエルのタカ派にとって、ハマスは生かさず殺さずにしておけばいいという立場が続いていた。特に、2009年から長いあいだ首相の座についていたネタニヤフは、その匙加減をよく心得ていたはずだ。

ガザは2007年からイスラエルにより封鎖された。金も物も人も移動が厳しく制限されてきた。それでも、ガザでハマスは16年にわたって権力を維持してきた。その理由は、ハマスにある程度のお金が渡っていたからだ。

現在のハマスの政治指導部は、ガザではなくカタールにある。そのカタールからの使者が、荷物に100ドル札を山ほど入れて、イスラエル経由でガザに入りハマスに渡してきた。ハマス支配下のガザの経済がなんとか回ってきたのには、その力もある。

もちろん、イスラエルの検問所を経由するから、ある程度の金と物がガザに流れていることは、イスラエルの首脳が知らないはずがない。それを黙認してきた。ネタニヤフは、ある程度のお金がハマスに渡れば、文句を言わずにじっとしているのではないかと考えていたのかもしれない。ところが、ハマスは水面下で今回の作戦を計画していた。

そのため、イスラエル国内では政府のこれまでの対ハマス政策に批判が集まっている。