日本を除く多くの国では、「国家シギント機関」というものが存在していて、諸外国に対する情報収集活動を実施している。ところが、日本ではこうした行政通信傍受は許されていない。世界標準から取り残された日本のインテリジェンスについて、近現代史研究の第一人者・江崎道朗氏と元内閣衛星情報センター次長の茂田忠良氏が語り合う。
※本記事は、江崎道朗×茂田忠良:著『シギント -最強のインテリジェンス-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
日本のインテリジェンスは世界基準に達していない
江崎:諸外国は、政府もハッカーも我が国に対して通信傍受をガンガンしているのに、日本はそれを外国に対してできない。本当におかしな話です。
茂田:問題は、それがおかしいという認識を国民の大多数が持っていないことです。我が国のこのような現状が、世界の諸国と比較して異常であるということを、国民は知らされていません。むしろ、我が国の現状を正常だと誤認しています。私に言わせると、これが最大の問題です。
江崎:世界標準のインテリジェンスとは何か、ということが日本ではほとんど語られていませんからね。
茂田:なぜ、このような異常な状況になってしまったのか。言うなれば、日本は第二次世界大戦で戦争に負けて「未成年者扱い」になりました。「お前たちはもう自立した国家ではないのだから、これからは自分で勝手なことをするな。戦争が終わって、もはや必要がなくなった軍隊は解体、インテリジェンスも解体だ」という連合国側の意向によって作られていったのが、戦後の日本の体制であり、日本国憲法です。
もっとも、軍隊に関してはその後、1954年に自衛隊が発足しました。しかし、自衛隊が軍隊かと言われると、世界基準で見た場合、一人前の軍隊としての体系ができている組織ではありません。こういう表現をすると自衛隊の方たちには申し訳ないのですが、今の自衛隊は、まだ「軍隊もどき」です。
インテリジェンスに関しても、近年は内閣情報調査室を中心としてインテリジェンス体制を整え、頑張って取り組んでいる姿勢が見えますが、世界基準はまだ遥か彼方にあるのが現実です。
江崎:とりわけ、21世紀に入ってインターネットの発展に伴う通信データ量が世界的に凄まじい勢いで増え、シギントの役割がどんどん大きくなっています。その状況に対応するには、当然、日本もシギント能力を強化していかなければなりません。しかし、いまだに何も有効な手を打てていない。そこが、国家シギント機関不在の根幹ですよね。
茂田:おっしゃる通りです。だから、日本も国家シギント機関を作るべきだ、というのが私の意見です。
日本が見習うべきはどの国のシステムか?
茂田:では、国家シギント機関を作るにしても、どのような組織にするのがいいのか。そこは、やはり先例に学ぶべきでしょう。明治維新の日本も、欧米諸国を必死に研究し、そこから使える制度を取り入れていきました。それを踏まえて、現在、シギントで見習うべき国はどこでしょうか。私が思うに、やはりアメリカです。
では、アメリカのシステムはどうなっているのか。まず、NSA(National Security Agency / 国家安全保障庁)という、1952年創設の強力な国家シギント機関があります。
それだけではなく、陸海空軍、海兵隊や沿岸警備隊も、それぞれ作戦支援のためのシギント組織を持っています。しかし、それらがバラバラに動いたのでは、効率的な運営はできません。そこで、各軍のシギント組織の総合調整機関に当たるCSS(Central Security Service / 中央安全保障サービス)が1972年にできて、NSAに附置されました。
これによって実際は、NSAとCSSが一体的に活動し、国家シギント機関としての機能も満たしながら、各軍の作戦時の情報支援も有効にしてきたわけです。
さらに、2010年にはサイバー軍が創設され、今度はサイバー軍もNSAと密接な協力関係を持つようになりました。サイバー軍は平時から「前方防禦」(ディフェンド・フォワード)でサイバーセキュリティに関与しています。この活動は、おそらく戦時になったとき全面的に花開きます。相手の指揮統制システムなどを破壊するわけですから。
江崎:ようやく我が国も、岸田政権の安保三文書に基づいて、陸海空の自衛隊の指揮統制システムを一本化していかなければならない、という具体的な動きが出てきました。それまでの陸海空は、じつはてんでバラバラでした。他の国の統合参謀本部に相当する統合幕僚監部(統幕)が2006年に作られましたが、指揮通信機能も含めた統合は十分とはなっていなかったわけです。
それが、ようやく2022年12月に閣議決定された防衛力整備計画において、常設の統合司令部を設立する方針が打ち出されました。と言うことは、当然、通信システムやさまざまな戦術情報の共有なども図られていくことになります。
アメリカで1972年にCSSができてから、遅れること約50年、半世紀を経て、ようやく我が国もCSSに相当するものを作る動きが出てきたのです。しかし、このCSSを実質的に支えているナショナルシギント機関、すなわちアメリカのNSAに当たる組織を我が国は持っていない。だから、このNSAに当たる組織を日本にも作らなければいけないという話ですよね。
茂田:そういうことです。安保三文書を見ても、各自衛隊のシギント部門の強化、インテリジェンス部門の強化については言及されていますが、その統合機関、タクティカル(作戦)シギントの統合調整機関については言及されていません。統合司令機能については言及されていますが。
江崎:インテリジェンスの統合機関については、小野寺五典・自民党安全保障調査会長(元防衛大臣)らが2022年4月に出した自民党の報告書「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」では、政府全体として防衛駐在官のさらなる活用を含め、人的情報(HUMINT)をはじめとする一次的情報の収集能力を強化することに加え、インテリジェンスの集約・共有・分析などを、さらに統合的に実施する体制を構築するために「国家情報局」の創設が提案されています。
もっとも、今回の国家安全保障戦略では、国家情報局の創設は見送られました。
茂田:これを機に、日本版のCSS(中央安全保障サービス)も、NSAもしっかりと作って、つまり作戦シギント中央組織と国家シギント組織をしっかり作って、両者の協力環境まで整えることが重要だと思います。それに加えて、国家サイバーセキュリティセンターも必要です。
アメリカ以外のUKUSA諸国、すなわちイギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの4か国は、シギント機関にサイバーセキュリティセンターを附置して、ここに政府のサイバーセキュリティ対策を所管させています。アメリカだけは一元的になっていません。
これに関しては、アメリカ以外の4か国のほうが合理的なので、お手本にすべきだと思います。実際、最近来日したアメリカの関係者の公式発言を見ても、「日本のサイバーセキュリティ態勢は、イギリスやカナダと同じシステムのほうがいい」と薦めています。
要するに、アメリカは人材も資金も豊富だから、CISAとNSAと別れていてもいいけれど、ヒトもカネも充実していない日本は、イギリスなどをお手本に、シギント機関と一体化したサイバーセキュリティセンターを作ったほうが合理的ですよ、というアドバイスです。
〇「スノーデンが暴露した米NSAの恐るべき情報収集能力」[チャンネルくらら]