2022年12月、日本政府は防衛費の大幅な増額や反撃能力の保有などを盛り込んだ新たな「安保三文書」を決定した。我が国は、現行憲法の基本的な考えから大きく踏み込んだ決断をしたのだが、この「安保三文書」では、武器をどう使うのかなどが曖昧になっている。元内閣衛星情報センター次長・茂田忠良氏と、近現代史研究の第一人者・江崎道朗氏が語り合う。
※本記事は、江崎道朗×茂田忠良:著『シギント -最強のインテリジェンス-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「反撃能力」を持つことを決断したが…
江崎:「安保三文書」で話題になったのが「反撃能力の保持」です。 日本は戦後これまで専守防衛の名の下で、外国を攻撃できる兵器――ミサイルや爆撃機などを持ってこなかったわけです。
しかし、中国、ロシア、そして北朝鮮が次々とミサイルを開発、配備し、日本列島全体を射程に収めるようになりました。これに対して日本は莫大な予算を使ってミサイル防衛システムを導入し、相手のミサイルを迎撃する仕組を整えてきました。
ところが、中国、ロシア、北朝鮮のミサイル戦力は、質・量ともに著しく増強され、ミサイル防衛だけでは対応できなくなってしまったのです。このため、ミサイル防衛によって飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐために、我が国から有効な反撃を相手に加える能力が必要だとして、「反撃能力」を持つことを決断したわけです。
この反撃能力を持つ――戦後の現行憲法の基本的な考えからすると、我が国は大きく踏み込んだ決断をしました。
その反撃能力を持つために、どのようなことをしていくのかが国家防衛戦略に書かれています。
一つは、長距離の精密打撃能力を持つ。そのためには射程千kmを超えるミサイル装備を持つことが示され、具体的にはアメリカの防衛産業からトマホーク巡航ミサイルを購入するとしています。
次に、国産の長射程の巡航ミサイル「12式地対艦誘導弾」の射程が短いので、この射程を伸ばし、さらには超音速ミサイルを開発するなどして反撃能力を持つとうたっています。
ただ、これに関しても、そもそも長射程のミサイルの開発ができるかどうか、仮に長射程のミサイル開発に成功したとしても、果たしてどこに撃つのかという問題があります。相手からのさらなる武力攻撃を防ぐためには、相手のどこをどのように攻撃したらいいのか、この点が「安保三文書」では曖昧なのです。
茂田:開発は担当の方々に頑張っていただいて、武器体系は調達できるという前提で、どう運用するのか。私の視点からすれば、武器をどう使うのか、そのときにどういうインテリジェンスが必要なのかということです。
「安保三文書」を読むと、その点についてはあまり書いていません。具体的に書いてあるのは、せいぜい次の二つです。
一つは、約600億円の予算で静止衛星〔赤道上空の高度約3万6000kmの円軌道を、地球の自転と同じ周期で回ることで、地上からは静止しているように見える人工衛星〕を打ち上げる。
これはたぶん、アメリカの早期警戒衛星のSBIRS(Space-Based Infrared System、宇宙配備赤外線システム)衛星のうちの静止衛星のようなものでしょう。高度約3万6000kmの遠くから、ミサイル発射の際に出る噴射ガスの熱線、赤外線を探知して、ミサイルの種類やコースを想定してくれる衛星システムです。
もう一つは、無人偵察機を飛ばして敵軍の動きの情報を取る。これは使えるかなと思いました。
江崎:高高度な偵察衛星を飛ばせる能力が我が国にあるかどうかは別にして、それ1基でなんとかなるものなのですか。
茂田:なんともなりません。現にアメリカは、今のままでは機能しないと、次のシステムに移行しつつあります。
アメリカに何周も遅れている衛星探知システム
茂田:現在、アメリカが早期警戒衛星のうちの静止衛星、これはSBIRS-GEO(静止軌道)と言いますが、何基運用しているかは機密ですから公表されていません。おそらく6基ぐらいは運用しているでしょう。
それに加えて、SBIRS-HEO(長楕円軌道)という衛星が3基あります。これは地球を1日で2周する、北半球に傾斜したモルニヤ軌道〔軌道傾斜角が63.4度で、周期が地球の自転周期の半分になる人工衛星の軌道〕上の衛星で、北半球の監視に特化した探知システムです。
アメリカの人工衛星による監視技術は非常に性能が高いので、今まではミサイルが打ち上げられた段階で、着弾まで正確に予測できていました。 しかし、そのアメリカの探知システムでも、もはやトラッキング(追跡)できない状況になってきたのです。
つまり、変則軌道のミサイルが出てきたのです。弾道ミサイルもリエントリー(大気圏再突入)後に滑空しながらコースを変えられてしまうと、着弾までの飛行コースの正確な予測が困難になってきた。
また、巡航ミサイルや、日本やアメリカも開発しようとしている推進装置を積んだ超高速のミサイルなどでは、飛行経路がさらに複雑になるので、従来のアメリカの探知システムではトラッキングできなくなってきたのです。 さらに、数少ない早期警戒衛星では、衛星攻撃で破壊されると早期警戒が機能しなくなるという弱点もあります。
そこで、今、アメリカはこれまでとは違った、全く新しいスターリンク型のシステムに移行しようとしています。スターリンク型とは、低軌道に打ち上げた多数の小さい衛星でミサイルの発射を探知する。そして、発射後にミサイルの軌道を変えられても追跡し続けるというシステムです。
そのためアメリカは、2019年に宇宙開発庁(Space Development Agency)を設立して、PWSA(Proliferated Warfighter Space Architecture)というシステムの構築を始めました。PWSAは、拡散型宇宙戦闘システムとでも訳すのでしょうか。2026年までに低軌道に1000基以上の衛星を打ち上げる計画です。
この衛星群には機能によって幾つかの種類があり、ミサイル発射を探知して、ミサイルを追跡するだけでなく、ミサイル迎撃のための指揮統制機能まで搭載されるようです。
それどころか、公表されている概念図を見ると、TEL(Transporter Erector Launcher、輸送起立発射機)という移動式のミサイル発射台については、ミサイル発射前からその位置を捕捉し続ける機能も持たせるようです。
江崎:アメリカ軍は、対象国がミサイルなどを撃ってくるときに、確実に潰したり、防備したりするために、従来の高高度の偵察衛星システムから低軌道の小型人工衛星システムへと移行する状況なのに、日本は今からアメリカの従来のシステムで探知しようとしています。アメリカからすれば、20~30年は遅れている感じでしょうか。
茂田:かなり遅れています。 他方、中国はこうしたアメリカの動きを見ながら、自分たちのインテリジェンス能力を大増強しています。例えば、報道によれば、中国はすでに2022年時点で136基の偵察衛星(早期警戒衛星、イミント衛星、シギント衛星など)を保持するなど、大増強しています。
また、中国はスターリンク型の低軌道の通信衛星を大量に打ち上げる予定です。国営企業、軍系企業が中心となって合わせて2万6000基にも上る打上計画があるそうです。中国は軍民共用となるでしょうから、当然、通信衛星網は、軍の指揮統制にもミサイルの飛行経路指令にも活用されるでしょう。
江崎:米軍は、北朝鮮や中国などもどんどん作っている新しいミサイルシステムに対応して、ターゲティング、つまり、相手の軍事目標を特定し通信などを通じて、その目標にミサイルなどが確実に当たるよう誘導する技術を開発しています。
片や、日本がこういった30年遅れの話を持ち出してくるのは、なぜなのでしょうか。日米間でこうした協議ができていないから、そうなってしまうのかとも思うのですが。
茂田:そのあたりの事情は私にはわからないのですが、公務員OBとして危惧しています。アメリカも契約の残りがあるので、2020年代はまだ静止衛星SBIRS-GEOを何基か打ち上げるようです。
日本が静止衛星を打ち上げるのなら、日本単独のシステムとしての運用では性能が低いわけですから、アメリカの既存のSBIRS-GEO衛星や、モルニヤ軌道のSBIRS-HEO衛星の早期警戒衛星トータルの探知システムと、どのように連動させて全体の能力を上げるのか。
本来であればそういう視点で、アメリカと運用の方法やインテリジェンスのシェアの仕方が議論されてしかるべきなのです。
〇「最重要対外インテリジェンス シギント」[チャンネルくらら]