沖縄で上映できたことに縁を感じた

――先ほど、この映画のきっかけが沖縄でMVを撮影したことだとありましたが、今回、「沖縄国際映画祭」で作品が上映されたことは、とても意義深いものだったのではないでしょうか?

當山:そうですね、運命的なものを感じています。私は大阪出身なのですが、父方のルーツが沖縄にあって、お墓参りのときに歌ったり踊ったりする風習も心地良くて。今回、こうして沖縄国際映画祭に来ても、皆さんすごく温かいし、自然に声を掛け合ったりしているのもステキだなって。

最初のきっかけとなったご夫婦もそうだと思うんですけど、都会に住んでいる人が、ゆったりした気分になりたくて沖縄を訪ねたり、移住したりするのもよくわかる。本当は都会のもう少し近くに、こういう場所があったらいいのかなとか思うんですけど、それだと違うのかなとも思うし。

永田:いま思い出したんですけど、最初、東京で撮ろうとしてたよね?

當山:そうそう、そうなんです。最初は東京で撮ろうとしてたし、栞役を自分でするつもりもなかった。もちろん、自分が歌うつもりだったので、途中で歌う人として出てくるって話で。

永田:でも、映画にするにあたって、歌う人が本筋とは別に出てくるのが気持ち悪いなと思って。でも、映画って言い始めちゃったしなあと思ったときに、「じゃあもう、あなたが栞をやれば?」ってなりました。19年前、彼女が主演の作品を私は監督したんで、できるっていうのもわかってたし、映画をやるってまでいったなら、思い切って主演もできるだろうなと思ったんです。

であれば、東京ではなく、彼女の出身である大阪で撮ったほうがいいだろうって。私も大阪出身なんですけど、大阪で作品を撮ったことがなかったし、コロナ禍で大阪に帰っていたという彼女自身の背景もありますし。「そもそも、東京で撮る意味ってあったっけ?」って聞いたら。「えっと、特に意味はないけど……」って(笑)。

當山:(笑)。

永田:「東京で撮るもんやと思ってた」って言うから、「展開とかを考えたら、絶対に大阪で撮ったほうがいい!」って、セリフも全て関西弁に書き直しました。

當山:それから「沖縄で撮りたい」ということは伝えていました。

永田:それね(笑)。そうなると当然、お金が必要になってくるわけですよ。「じゃあ何人で行くつもりなの? 撮影に必要な車両はどうするの?」って聞いたら、「車両…!?」みたいな。

岩井堂・村川:(笑)

當山:本当にいろいろなことを教えてもらいました(笑)。

自分で道路の使用許可を取りにいったんです

――話を聞いていると、お姫様の願いを監督が叶えていってるような見え方になってきました。

永田:でもね、最終的には彼女ひとりで道路使用許可をもらってきたんですよ。私がどうしても東京で仕事があって、大阪に居れなかったので、「警察署ではこうやって説明してな……」って。そしたら、彼女から電話がかかってきて「なんか駄目って言われました~」って言うから、「その書いたの見せてみい!」って。

當山・岩井堂・村川:(笑)。

永田:で、「この地図じゃおりひんわ」となって、その場で電話で指示しながら地図を書き直して、道路使用許可をもらいました。島の撮影でも、彼女にスタッフや演者のピックアップをお願いしたり、コンビニまで乾電池を買いに行って、速攻でリハして本番、みたいなスケジュールもこなしてもらって。

當山:本当、演者やスタッフの皆さんに助けていただいた撮影でした。

永田:でも、全員野球というか、最後のほうはメイクさんまでレフ板を持ったりして照明を手伝ってくれたり、みんなが一つになって作品を作っていて彼女もいい経験になったんじゃないかなと思います。

▲「全員野球でいい作品ができました」と監督の永田は語る

――印象的なシーンについても教えてください。

當山:たくさんあるんですけど。まずひとつは、私の好きな吉本新喜劇の浅香あき恵さんに出ていただけたことですね。

――「クッキーさん」というニックネームで、カフェに現れる女性役で出演されてますね。大阪にはこういう人がいるんだろうなって、そういうリアリティもすごかったです。

永田:撮影しているときも、通りすがりの人が「あ、あき恵さんや!」みたいな感じで、改めてすごいなと思いました。

當山:撮影中もすっごく可愛らしかったです。

永田:セリフのギャグの部分も毎回変えてくれるんですよ、贅沢な時間でした。