今年4月に発売された書籍『銀河マリーゴールドシネマ』(ぶくぶっくす)。映画が存在しない世界で生きてきた少年が、古びた映画館を人知れず守る“館長”と出会うことで、初めて映画というものを知り、映画を通して人生の意味や自らの存在意義を知る……という物語である。

著者の荒河踊(あらかわおどる)自らが出版社を立ち上げ制作された本書は、自身の親しみが深い映画館をテーマに紡がれたストーリーと、彼の映画へのたゆまぬ愛を投影した温かな読後感をもたらす一作だ。

▲荒河踊【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

もっと映画館の物語があってもいいんじゃないか

作中に登場する100本にもおよぶ映画のストーリーは、全て架空のものだ。しかし、往年の名画や話題になった作品を想起させるパスティーシュになっていて、シネフィルの心をくすぐりまくる。かなり映画に通じた人物が書いているのでは…? と誰もが直感する内容だ。

じつは荒河踊、25年間にわたって映画館の支配人として勤務していた生粋の映画人なのだ。首都圏の映画ファンにはお馴染みの名画座、「目黒シネマ」が彼の前職場である。四半世紀も務めた支配人職を一昨年に辞してから、荒河はかねてから温めていた「映画館の話」を書こうと思い立った。

「もともと、映画制作の道に進みたくて、脚本を書いたりはしていたんですけど、小説は初めて。最初は自分の文体も定まっていなくて、書いては消しての繰り返しでした」

そう語る荒河だが、登場人物の魅力的なキャラクターや生き生きとした会話には、長く映画に携わってきた者ならではのリアリティがあり、そのファンタジックな世界にたちまち引き込まれてしまう。

「映画館の話って『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督:1988年)とか、原田マハさんの『キネマの神様』とか素晴らしいのがありますけど、数は多くないんですよね。

映画館って本当に夢のような空間なので、もっと映画館の物語があってもいいんじゃないかと思ったんです。それなら私ほど適任な人間はいない。なんせ25年も映画館にいたわけですから(笑)」

「自主出版」は映画を愛するからこそのこだわり

著者のユニークな出自に加えて、この作品がさらに特別なのは、「自主出版」という形をとっていることだ。荒河氏は本作の出版のために、自分で「ぶくぶっくす」という出版社を立ち上げ、イラストレーターの選定や装丁、配本や宣伝に至るまで、出版にまつわる全ての工程を自ら手がけている。

「自分でお金を出しているので、世間的には自費出版ということになるのでしょうが、僕はあえて“自主出版”と呼びたい。それはやはり映画の影響が大きいんです。

犬童一心監督だって、あれだけのキャリアがありながら、いまだに自主映画を撮っている。『名付けようのない踊り』(舞踏家、田中泯の生き様を追ったドキュメンタリー映画:2022年公開)は途中からクラウドファンディングになりましたけど、最初は自主映画として始まりましたからね」

そして、こう言葉を継いだ。

「作りたいという衝動が強ければ強いほど、自分の思い通りの作品を作りたいわけですよね。この熱量っていうのは、自主映画と同じなんだと思ったんです」

価値のある挑戦だが、当初、周囲の人たちの反応は芳しいものではなかったという。

「妻は応援してくれたのですが、友人や知人は“家族がいるのに何を考えてるんだ”とか“そんな本なんか買ってくれる人いないよ”とか、ネガティブなことばかり言われて心がくじけそうでした」

それでも書き上げた小説。いち早く評価してくれたのは、支配人時代から交流のあった映画監督の犬童一心と竹中直人だった。

「二人ともすごく忙しいのに、本当にきちんと読んでくださって。犬童さんから“美しい物語でした”という一言がLINEで届いたときは本当にうれしくて、書いてよかった! と生きてる実感が湧きました。お二人には、あとがきの執筆もお願いしましたが、竹中監督は何度も何度も書き直してくださり、本当にありがたかったですね」

まさに映画を愛するもの同士の魂が共鳴したと言えよう。

映画への愛と情熱が生んだこの本の噂は、映画界の重鎮たちが賛辞を贈ったことも手伝って、全国にも静かに広がりつつある。特に選書能力に優れた独立系書店からの評判がよく、荒河の活動を応援してくれる店も着実に増やしている。

「少しおこがましいかもしれないけど、そうした書店の皆さんが持ってる熱量も、僕と通じるものがあるように思います。この物語が生まれた経緯も含めて、好きになってくれているのかなと思っています」

ハードルの高い印象がある自主出版ではあるが、その良いところを問うと、荒河は即座に「妥協しなくていいことです」と答えた。

「例えば、本にとって重要な装丁ですが、大手の出版社で出すとなったら、予算の関係で諦めなくてはいけないこともあったでしょう。僕は自分の本に、どうしても紙のブックケースをつけたかった。やりたいことを全部叶えたので、仕上がりにはとても満足しています」

この一大プロジェクトをやり遂げることができたのは、今は亡き兄の存在が大きいと話す。

「兄は障害を持っていたんですが、独学でシステムエンジニアになったスゴい人でした。僕が最初に“脚本を書きたいんだ”と言ったときに、“俺が稼ぐから、お前は好きなことやれ”って応援してくれたんです。

その後、僕はサラリーマンになって、兄の気持ちに報いることができなかったけど、今、こうして一つの物語を完成させることができて、やっと約束を果たせたと思っています」

兄との誓いを守り、夢を叶えた荒河踊。次なる夢は『銀河マリーゴールドシネマ』の世界を拡張し、映画館という魅力的な世界を一人でも多くの人に楽しんでもらうことだという。現在は続編を執筆中とのこと。ぶくぶっくすの挑戦は続く。

(取材:美馬 亜貴子)