映画・音楽ジャーナリストの宇野維正氏の最新刊『ハリウッド映画の終焉』(集英社新書)が6月16日に刊行された。長らく大衆娯楽の王様と呼ばれた映画の地位は奪われ、足下から崩れつつある。私たちが慣れ親しんできたはずの「ハリウッド映画」は、この数年でまったく違うものへと変質しているという。
この本では2020年以降に制作された16本の映画を通して、今、ハリウッドで起こっていることを明らかにしている。ところで皆さん、いちばん直近、映画館で見た映画はなんですか? もしあなたが熱心な映画ファンでないなら、その回答は「ハリウッド映画の終焉」に関わり合ってくることかもしれない。
大物監督の回顧とスーパーヒーローへの集中
――「ハリウッド映画が終わっていくのではないか」と思われたキッカケを教えてください。
宇野 本書では2020年以降の作品を論じているんですが、決定的だったのは2019年のクエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でしたね。その前年にアルフォンソ・キュアロンが『ROMA/ローマ』を撮り、2021年にはポール・トーマス・アンダーソンが『リコリス・ピザ』を撮った。
自分の幼少期、あるいは自分の幼少期と同じ時代を、ベテラン監督たちが次々と長編映画にしているのは、今のうちにハリウッド映画という文化のなかに“最後の痕跡”を残そうとしているのではないかと思ったんです。
――それで、これまでのハリウッド映画が終わっていくという視点を得たわけですね。
宇野 映画はこれまで何度も危機を迎えてきました。テレビが普及したときがそうだし、家庭用ビデオが普及したときも。そうした変化に意識的な映画作家は、その都度リアクションとしての作品を撮ってきたんですが、どうやら今回は根本的に危ない。
今回の映画の危機は、配信プラットフォームというオルタナティブに取って代わられるというだけではなく、ゲームやアニメーション、日本だとコミックなどに“エンターテイメントの王様”の場所を奪われていくという、本格的に映画の立ち位置が足元から崩れていくことなんじゃないかと考えています。そういう視点から16作品を取り上げました。
――おもだったところを紹介すると、『プロミシング・ヤング・ウーマン』『パワー・オブ・ザ・ドッグ』『ブラック・ウィドウ』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『リコリス・ピザ』『TAR/ター』などなど。ただ、「終焉」とはいっても、スーパーヒーロー映画にはまだまだ需要はあるんじゃないでしょうか。
宇野 スーパーヒーロー映画については章を丸ごと一つ割いてますが、象徴的だったのはアメリカでの『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』公開時の興行収入です。その週末の全興行収入の92%を『ノー・ウェイ・ホーム』が独占していたんです。同時期にはスティーヴン・スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』やギレルモ・デル・トロの『ナイトメア・アリー』のような素晴らしい作品が公開されていたのに、その2作品を合わせた興収は『ノー・ウェイ・ホーム』の2.5%って、もうめちゃくちゃじゃないですか(笑)。
これって我々の知っていた映画館の興行じゃないんですよね。日本でも『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のときに同じような現象が起きてました。そもそもシネコンはヒット作を多めにスクリーンを割り振るものでしたけど、コロナ禍で経営危機になって、いよいよ背に腹を変えられないっていう状況で「劇場は文化の担い手である」みたいな建前を外してしまった。
――みんなが同じ映画に集中して見に行くことに対して「じつはこれって異常なんだ」という宇野さんのツイートを目にして、ハッとしました。
宇野 そうなんですよね。最近だと『AIR / エア』でも『TAR / ター』でもいいんですけど、面白い映画も劇場でかかってるし、検索したらどこかでやっています。でもいざ、時間を作って見ようと思うと、あっという間に1日1回の上映になってたりするんですよね。
とくに大作アニメとか大きな作品の公開時に、スクリーンが多く割かれる現象は常態化していて、映画を劇場で見たいと思ってる人が、好きなときに行けない状況になっている。要は劇場に映画が配給されるシステム自体が破綻をきたしてるんじゃないかと思います。
アメリカはスーパーヒーロー映画に疲れている
――「新型コロナウイルスは、時計の針を少しだけ早く先に進めるキッカケとなったにすぎない」という記述にも驚きました。
宇野 確実に集客利益が見込める企画に集中してしまうのは、21世紀の新自由主義社会の必然的帰着なので、映画も巻き込まれていくだろうと思っていました。特にハリウッド映画は、市場原理を是とするアメリカの思想をこれまでも体現してきましたからね。
――そうですよね、とくに「アベンジャーズ」を中心とした「MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)」とかは作られすぎではないか?と感じていた所だったんです。本書の『ブラック・ウィドウ』の項で分析されてますが、MCUのフェーズ1からフェーズ3の11年間で作られた作品が23作で49時間56分に対し、フェーズ4の2年間でテレビシリーズを合わせて60時間以上って……。
宇野 最近のアメリカでの論調は、完全に“スーパーヒーロー映画疲れ”に振れてますね。このままの言葉でメディアの見出しになっているほどです。タイムリーな話でいうと、これはマーベルじゃなくてDCですけど、最近公開された『ザ・フラッシュ』なんかは、興収がアナリストの予想をはるかに下回りました。
理由はいろいろあるんですけど、その根本には「もうスーパーヒーロー映画はいいや!」っていう、ジャンルそのものへの疲弊が起きている。マーベルのような他作品とテレビシリーズ全部が密接につながっている“ユニバース”は、見れば見るほどより深く作品を知ることができて、ある時期まではそれが長所となるんですが、作品数がある段階を超えた途端に反転しちゃうんですよね。
――じゃあ、そんなに作らなくてもよくないですか?
宇野 つまり、完全に作り手側の都合だけなんですよね。そこに我々観客 / 視聴者が、どこまで付き合うのかっていう問題になる。結果的には、すごく忠誠心の強いファンしか残らなくなるのは必然ですよね。