必死の初戴冠も突きつけられた厳しい現実

2023年冬、全日本プロレスに外敵が襲来した。同年9月末日でプロレスリング・ノアを退団した中嶋勝彦である。

中嶋は全日本上陸第1戦の11月5日の札幌で青柳優馬から全日本の至宝・三冠ヘビー級王座を奪取。大晦日には宮原健斗、年が明けた今年2024年1月3日後楽園でWWEのNXTブランド所属のチャーリー・デンプシー、1月27日の八王子で『チャンピオン・カーニバル』の前年覇者・芦野祥太郎、2月20日後楽園で斉藤ジュンを撃破して、全日本の王道マットを自ら提唱する“××スタイル”に染めてしまった。

全日本が沈滞ムードに包まれる中で「全日本を観たみんなには笑顔で帰ってほしい。必ず俺がベルトを取り返します」と名乗りを上げたのが、その時点でデビュー1年5ヵ月の安齊勇馬だった。

▲「このままではいけない」という思いが彼を突き動かした

安齊は前年2023年夏にプロレスリング・ノアの真夏の最強決定戦『N-1 VICTORY』に出場。8月29日の札幌における公式戦で中嶋にヴァーティカル・スパイクを決められて完敗を喫している。そんな経緯もあるだけに中嶋は安齊を認めていなかった。

3月30日、大田区総合体育館で実現した三冠戦は、中嶋が潰しのファイトに出た。相手の力を引き出し、それを上回る実力で勝つというのではなく、一方的に蹴りまくり、安齊をサンドバッグ状態にし、関節技で極めにかかったのである。安齊を完全否定する戦い方だ。

だが安齊の心は折れなかった。中嶋がヴァーティカル・スパイクでとどめを刺しに出たところで空中で体を切り返して着地すると、磨きをかけてきたジャンピング・ニー、デビュー当時からフィニッシュ・ホールドとして使ってきたジャーマン・スープレックス・ホールドを敢行!。20分16秒、大逆転勝ちで第72代三冠王者…24歳10ヵ月の史上最年少三冠王者が誕生した。

「あの試合に限っては、僕ができる最善だったというか。僕があの場ですることは“いい試合をする”ではなく、ラッキーパンチでも何でもいいからベルトを取り返すことにこだわりました。

観る人によってはスッキリしない内容だったと思うんですけど、まだ実力もキャリアも足りない中で『勝てればいい。その先のことは次の日から考えればいいや!』っていう感じでした。ベルトが流失したまんまで好き勝手にやらせていたら…あのたった数ヵ月で『全日本は、どうなっちゃうんだろう?』っていう雰囲気だったので、あれが1年も続いたら取り返しがつかなかっただろうし、僕はどうあれ勝ててよかったと思ってます」と、安齊は振り返る。

だが、この中嶋からの三冠奪取はすべての観客から支持されたわけではなかった。一瞬の勝利、あまりにも呆気ない幕切れにブーイングが起こったのも厳しい現実だった。

「あの時にはいろんな感情があって、もちろん勝った喜びとベルトを手にした喜びの反面、勝ち名乗りを上げた時にちゃんとしたブーイングを食らって…ちゃんとしたって言ったらおかしいですけど、後楽園で渕さんにジャンピング・ニーをやった時(1月14日の渕正信70歳バースデー記念試合)に会場中からブーイングを食らったんですけど、それは愛のある『安齊、渕さんに何やってんだよ』っていうブーイングじゃないですか。

でも大田区では『お前を認めてないぞ』っていう否定の、攻撃的なブーイングを食らってしまった。試合が終わった瞬間から『こんな結果を求めてなかったけどな』『こんな感じだったら、別に勝たなくても』みたいな声もたくさんあって。

僕としては年末ぐらいからファンの人たちが沈んでいるから、その人たちのためにも勝たなくっちゃって気持ちがあったのに『ああ、勝っても認められないんだ』っていう思いもありましたし、そこで『結果はもちろん、誰もが納得する試合をしないと三冠チャンピオンじゃないんだ』ってわからされて、2日間ぐらいはいろんなことを考えてましたね」

▲手元にベルトがあっても三冠王者と認めてもらえないことに苦悩した