今、プロレス界で「あざとカッコイイ!」と女性ファン急増中なのが安齊勇馬だ。リングを降りれば下北沢、原宿、高円寺に古着を探しに行ったり、電車を乗り継いでお目当てのラーメン屋さんに行くという25歳の普通の青年だが、あのジャイアント馬場が設立して52年の歴史を誇る全日本プロレスの最高峰・三冠ヘビー級王者である。

かつて全日本の平成黄金期を担った川田利明が「全日本始まって以来のイケメン!」と言う若きチャンピオンの素顔に迫ろう。

▲甘いマスクとまっすぐなファイトで人気急上昇中の安齊勇馬

プロレスにハマるきっかけは鈴木みのる

1999年5月15日、群馬県安中市で生まれた安齊は、公式プロフィールには少年時代に野球、サッカー、空手をやっていたとあるが「兄がヒーローで、お兄ちゃんがサッカーやってるから僕もサッカーをやって、お兄ちゃんが野球やってるから僕も野球をやってという感じでした。空手は親父が伝統派の空手の世界チャンピオンだったんで、小学校の頃にやっていましたけど、あんまり興味がなかったんで何流なのかも知らないです」と本人は笑う。

そんな安齊がプロレスに触れたのは中学2年生の夏。野球部に所属していて、夏休みの日々の練習の記録をつける宿題を1か月分溜め込んでしまい、深夜までやっていた時にたまたま新日本プロレス中継の『ワールドプロレスリング』を目にしたのだ。

「それまでプロレスは一切観たことがなかったし、アントニオ猪木さんも名前を知っているだけで、ルールも技も何も予備知識がなかったんですけど、棚橋(弘至)さんとカール・アンダーソンがやっていて『スキンヘッドの外国人の人はカッコイイな』とか。

それから深夜の『ワールドプロレスリング』、あとはYouTubeで配信している団体は観るようになりました。プロレスの入りはオカダ・カズチカさんだったんですけど、ハマったのは鈴木みのるさん。鈴木軍がとにかくカッコイイなって。鈴木さんからはサインももらいましたね。握手もしてもらって。何枚もバスタオルを持ってます(笑)」

レスリングにのめり込んだ学生時代

プロレスにハマった安齊少年はプロレスラーになるのはどうしたらいいか調べ、入門テストでスパーリングがあるかもしれないことを知り、レスリングを始めることを決意する。

「野球部の顧問の先生と親に『俺は高校野球はやらずにレスリングをやるから』って。そうしたら学年主任も出てきて会議になって。野球部では4番ファーストでやらせてもらっていて、選抜とかにも選ばれてスタメンだったんで、顧問の監督の話では高校からの推薦の話もあったみたいで『本当にいいのか?』って。でも僕の気持ちはもちろん変わらなくて、家から通える範囲でレスリング部がある前橋西高等学校に進学しました」

高校レスリング時代には同学年に今は同じ全日本プロレスに所属する本田竜輝(自由ヶ丘学園高等学校)、田村男児(鹿島学園高等学校)がいて本田とは対戦したことはないが合宿でスパーリングをしたことがあり、田村とは1勝1敗だったという。そして高校卒業後すぐにプロレスに行くのではなく、大学レスリングに進む。

▲全日本の若手として切磋琢磨する選手たちとが学生時代に出会っていた

「高校を卒業する時に186㎝、80kgぐらいで『こんなんじゃプロテストを受けてもどうしようもないな』って思って大学に行くことに決めたんです。で。東京に出たいし、どうせ出るんだったらマーチ(東京の私立5大学=明治、青山学院、立教、中央、法政)とかのなるべく名前がある大学に行けば、プロテストに落ちたとしても別の仕事に有利だと思っていて、いい条件で誘ってもらった中央大学に決めました」

中央大学レスリング部といえば1972年ミュンヘン五輪にグレコローマン100kg以上級日本代表として出場したジャンボ鶴田、グレイシー・ハンターとして名を馳せた桜庭和志、そして三冠王座最多戴冠記録(8回)を持つ諏訪魔を輩出した名門校。しかし安齊は「もちろん諏訪魔さんが先輩なのは知ってましたけど、鶴田さん、桜庭さんは入ってから『そうだったんだ!』って(笑)」