三冠王者としてのファイトを意識したチャンカン
そして迎えた春の全日本最強決定戦『チャンピオン・カーニバル』には全日本の最高峰の三冠王者であることを証明するために臨んだ。4月18日の後楽園ホールにおける開幕戦での斉藤ジュンとの公式戦初戦で新技ギムレットを公開して勝利したのも安齊の覚悟の表れだ。
「それまではスープレックス系の技が中心でしたけど、オリジナルの技が欲しいとずっと思っていて、食らった中で一番しんどいと思ったのが諏訪魔さんのラストライドだったので、なるべく高さを使って上から下に叩きつける技を考えて、それがギムレットになりました。
技名ですか? 『自分のフィニッシュ・ホールドを作ったら、この名前にしよう』って、技を考える前から技名は決めていて…ギムレットはカクテルの名前で、カクテル言葉は“長い別れ”なんですけど、それは僕の中ではサブで、実は漫画の『ONE PIECE』が好きで、その中に出てくるセニョール・ピンクの息子がギムレットなんです。そのエピソードが凄く好きで『絶対、この名前を付ける!』って決めていました。次の技の名前も決めています(笑)」
三冠王者として試される春の祭典を安齊は必死に駆け抜けた。斉藤ジュン、ロード・クルーに連勝後、4月21日幕張メッセでNew Periodの盟友・本田竜輝のファイナルベントに3カウントを許したが、その後は持ち直して4月24日品川では全日本にスカウトしてくれた諏訪魔に渕直伝のフェースロック(レフェリー・ストップ)でシングル初勝利を挙げた。
「公式戦7試合のうち4試合がメインだったんですよ。だから、もちろん勝ち負けにこだわりましたけど、とにかく試合内容重視で。自分の体なんかどうでもいいから、とにかく三冠チャンピオンとしてメインを務めあげるという戦いでもありました。
たとえば幕張メッセでは何度も三冠戦で名勝負になっている宮原健斗vs青柳優馬の公式戦のあとに本田との公式戦が組まれたんですよ。確実に比べられますし、いじわるなのか期待しているかわからないですけど(苦笑)、会社にも何かしらの思いがあるわけじゃないですか。だから、あの試合はもちろん本田との勝負ですけど、宮原vs青柳との戦いもありましたね」
諏訪魔に勝った時点ではエントリーされたBブロックで首位を走っていた安齊だが、4月27日の大阪でアクシデント発生。試合中に左膝を負傷して斉藤レイに敗れてしまったのだ。
その後、ハートリー・ジャクソン戦はフェースロックで乗り切ったものの、最終公式戦の5月4日の新潟では負傷している左足に集中攻撃を浴びて鈴木秀樹の逆片エビ固めに無念のギブアップ。結局4勝3敗で優勝戦に進めなかったものの、怪我をしたにもかかわらず勝ち越し、1試合も欠場することなくトップレスラーとしての役目を果たした。
「場外乱闘で斉藤レイ選手が観客をどけてイスに投げる素振りをしたんですよ。でも、その直前に方向転換されて壁にぶつけられて、起き上がった時には膝が動かなくて。レフェリーの神林(大介)さんにも『続けられるか?』って言われるくらいのダメージを負ってしまって。
怪我した夜は両手で足を上げないと動かないぐらいで。会社からは欠場してもいいと言われましたけど、もちろん僕の中には欠場の2文字はなくて。テーピングでガッチガチにして、痛み止めを飲んで『数十分だけ動ければいい!』っていう気持ちで。
普通のシリーズだったら、もしかしたら欠場というのも頭をよぎったかもしれないですけど、三冠チャンピオンとして迎えた『チャンピオン・カーニバル』で欠場はないなと。それなら、まだ出場し続けて惨敗した方がまだマシだと思って、何とか完走できました」
対等に向き合ってくれたエース・宮原健斗との防衛戦
『チャンピオン・カーニバル』に優勝したのは宮原健斗。5月29日の後楽園ホールで安齊は春の祭典覇者相手に三冠初防衛戦を迎えた。2016年から三冠のベルトが腰にある時もない時も全日本のエースに君臨してきた宮原相手に若き王者は互角のファイトを展開し、最後は宮原の必殺技シャットダウン・スープレックスを逆に炸裂させ、新必殺技・ギムレットで勝利。その瞬間、後楽園ホールは大爆発したが、安齊はこう振り返る。
「宮原さんが入場する時の健斗コールを聞いていて、ホントに緊張が倍になったといか。『この中を入場するのか…』っていうのがあって。あの試合で『安齊勇馬が宮原健斗を超えた』と思う人は誰ひとりいないと思いますし、僕自身も思ってないんですよ。入場から宮原さんは凄かったし、自分が勝ったんですけど、試合後に泣きたいぐらいの差を感じたんですよ。
でも、ファンの人からは『どっちも凄かった』っていう声をいっぱいもらって『観る方からしたら、ちゃんとした試合だったんだ』っていうのが素直な感想です。変な言い方かもしれませんが、あの試合は宮原さんに100点に近い試合にしてもらっていう感覚ですね。
今まで一番キツい試合でした。最後、足もいうこときかないし、脱水みたいな感じで目がチカチカしていたし。僕がまだ2年もやっていなくて、宮原さんは16年以上のキャリアがあるじゃないですか。普通なら宮原さんがふんぞり返って試合をしてもおかしくないのに、僕を対等に相手と見て試合をしてくれたのがホントに嬉しくて。
代々木の時(2023年9月8日の初一騎打ち)もまっすぐに見てくれていたと思うんですけど、まだ若手を育てる試合に近かったと思うんです。それが横浜BUNTAIで優勝して、挑戦表明した時から対等で接してくれたことで成長を実感したというのもありますし、あの背中をずっと見ていたからこそ『宮原健斗が僕を見てくれているんだ』っていうのが嬉しかったです」
観ている側には接戦に見えても、実際に戦っている当事者にはまったく違う感覚があるようだ。だが、この勝利は確実に全日本の歴史を動かした。この安齊の勝利に呼応するようにリング上に本田竜輝、ライジングHAYATO、綾部蓮が集結。新しい時代を目指す若い選手のユニットが生まれた。後日、命名されたユニット名はELPIDA(エルピーダ)。ギリシャ語で“希望”という意味だ。
「1日3つずつ名前のアイデアを持ち寄ってピザを食べながら3~4日話し合ってELPIDAに決まりました。HAYATOさんとか僕は尖った思想を持ってるんで、どこにも似通わない、影響されない名前にしました」
プロレス界ではベテランに若い世代が挑む世代闘争は常。そうした中で「世代交代を迫るユニットは過去にどこの団体でも数多く生まれているが、成功例はない」という声も少なくない。しかし、安齊はこう反発する。
「それは昔の人たちであって、僕らが世代交代を掲げたのは初めてなわけで、僕らからしたら前例がないんですよ。昔の人たちができなかっただけであって、それがイコール僕たちもできないにはならないと思います。
あとは『仲良しこよしで生ぬるい』と批判する声もありますよね。確かに僕らは楽しくやってますし、年も近いから仲もいいですけど……本田はメチャクチャ会場を盛り上げるし、綾部さんはコスチュームも変えてリングの上でキラキラしていて、HAYATOさんは唯一無二のキャラクター。
その中で僕ものうのうと“楽しいな”だけでやっていたら霞んじゃうし、埋もれちゃうし、むしろ明確に比べられる人間が近くにいるという環境の方が厳しいと思いますよ。よく言えば切磋琢磨、悪い表現をするならチームだけど潰し合いですから」
新世代のELPIDAの台頭により、今、全日本プロレスは新たな熱狂を呼びつつある。