「借金800万円」からのスタート
新 保 その後に独立をされるわけですけれども、あらためて、「株式会社プロラボ ホールディングス」(以下、プロラボ)を立ち上げていかれるまでの経緯を教えてください。
佐々木 先ほども申し上げたとおり、非常に山っ気のある学生でしたから、学生時代の友人にも、「俺はもう30までに独立するぞ」って吹いていたわけです。吹いた以上、やらなければかっこ悪いじゃないですか(笑)。ですから、29歳ぐらいから「もうやばいな。なんとしてもやらなきゃ」と考えていました。そこで、普通であれば事業計画を立てて、種銭をためて、という準備が必要なんでしょうけれども、僕は独立をしようと思っていたときに、すでに800万ほどの借金があったのです……。普通に考えれば、そんな状況で独立などできるはずがないのですが、どうしても諦められなかったんですね。で、どうしたかといいますと、たまたま川崎市の創業支援に関する制度を見つけまして。そこに企画書を出して、中小企業診断士の診断を受け、川崎市長の認定がもらえると、川崎市の保証でお金が借りられるという制度でした。その制度を利用することで、川崎市の認定を受け、金融機関から1100万円を借り入れることができたので、それを元手に飛びだしたんです。
新 保 なるほど。ちなみに、それはどのような事業だったのでしょうか?
佐々木 よく、「教えたい人と学びたい人を結び付ける、生涯学習情報誌の地域版」みたいなフリーペーパーってありますよね?
新 保 ありますね。
佐々木 ああいう、よく新聞に挟まっているようなフリーペーパーを自分で企画する事業です。ただし、前職が警備会社の営業なので、もちろん経験ゼロ。広告のこともわからなければ、印刷のこともわからない。もちろんデザイン制作についても何もわからないという状況でした。だから、本当に不思議なんです。普通は経験があることで独立しますよね?
新 保 多くの方は、そうかもしれませんね。
佐々木 ところが、なんの根拠もなく「できる」って思ったんですよ。それで、企画書が通った時点で、はじめて「あれ、待てよ」と気づきまして(笑)。そこで、当時のタウンワークのような電話帳を使って、デザインをする人ですとか、印刷屋、新聞に折り込む会社などを探していったんです。ところが、印刷屋はなかなか取引してくれませんし、デザイン会社からはボッタクリといっても過言ではない高額な請求をされまして、結果、初めてできた情報誌は、ものすごいダサかったんです。今ではもう恥ずかしくて、絶対にお見せできないんですけど。
新 保 見てみたい気もしますが(笑)。
佐々木 とにかく異常にダサかったんですが、当時はその「ダサい」ということも理解できていなかったんですね。それでも、その「ダサさ」に気づかずにそれを持って広告に回るじゃないですか。地域のカルチャースクールなんかに、全部飛び込みで回って、「ここの枠に、10万円なんですが広告を出していただきたいんです」とか、「5万円で出稿していただきたい」などと交渉するんですけれど、いくら回っても広告が取れないんです。結果、半年間、1件も取れませんでしたね。1日120軒っていうノルマを自分に課して頑張っていたんですが。今日、新保さんのインタビューを受けながら、「なんでだろう?」とあらためて考えてみたら、見本誌はださいし、僕自身が怪しいし……。
新保 いえいえ、そんなことはありません(汗)。