中国への抗議活動などを規制する「香港国家安全維持法」が6月30日に可決された。一国二制度は形骸化し、中国による弾圧が香港でも起こる日が近くなってしまった。中国ウォッチャーの第一人者・福島香織氏が、コロナショックを経て新たなフェーズに突入するかの隣国の脅威を語る。

※本記事は、福島香織:著『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

2003年のSARS隠蔽で不信感を募らせた香港

香港人たちが香港の核心的価値は中国本土とまったく相容れない、西側の民主主義的法治と自由であると気づいたキッカケは、2003年のSARSの中国側の隠蔽による香港での蔓延でした。

当時の胡錦涛政権は、事の重大性をいち早く察して、国家安全条例の成立を棚上げし、将来的な民主的直接選挙の可能性をにおわせて、一国二制度への尊重姿勢を維持することで香港人の怒りをなだめました。

またこのとき、国内では一時的に報道統制を緩め、メディアに取材の自由を与えることで、国内に蔓延していた不安やデマに対応しました。SARSは4カ月も隠蔽されていましたが、隠蔽がばれてから終息までの対応は比較的的確であり、7月には終息宣言となりました。

▲胡錦涛(撮影:2012年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

では、およそ17年の時を経て、新型コロナウイルスが発生したときの習近平の対応はどうだったでしょう?

私は、習近平政権の今回の新型コロナウイルスに対する対応は、SARSの経験をまったく活かせておらず、SARSよりも深刻な危機的状況を世界に拡散させてしまったのは、習近平政権の誤った判断のせいであったとみています。

習近平への権力集中が情報隠蔽と対応の遅れに

SARSのときは、胡錦涛政権と江沢民長老政治の対立という政治的要因が、隠蔽や対応の遅れの背景にありましたが、今回の新型コロナウイルスの問題は、政策の決定権を習近平一人が握り、鄧小平以来の伝統であった共産党の集団指導体制のシステムが機能しなかったことが背景にあったと思います。

習近平が、自ら自分に権力を集中させすぎたことが最大の原因です。

▲習近平(撮影:2019年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

習近平は2017年の第19回党大会以降、強引に憲法を改正し、国家主席任期制限を撤廃するなどして、自分への権力集中を加速させていきました。第18回党大会で習近平政権が誕生して以降、反腐敗キャンペーンを大展開してきましたが、これは習近平が気に入らない政敵の官僚を、汚職の罪で次々に失脚させていく恐怖政治でもありました。

その結果、地方の官僚、中央の機関の末端の官僚たちは、習近平の指示、指導に従う以外のことを行わなくなりました。コンプレックスの強い習近平自身が、自分より能力の高い官僚を嫌う傾向もあったので、習近平の喜ぶことだけを忖度して行う“ヒラメ官僚”が出世していき、だんだん官僚システム全体のレベルが下がり、機能不全に陥ってきていたのです。

その結果、習近平には現場の正しい情報が速すみやかに上げられなくなりました。習近平に嫌われれば、失脚させられるので、地方のヒラメ官僚たちは、習近平の不興を買うような悪い情報はあえて上げなくなりました。

一方で習近平は、すべてを自分の判断によるトップダウン形式で行う仕組みを、省庁改革によって進めてきました。習近平の許可や指導なく、勝手に指揮をとることは誰にも許されなくなってきたのです。

ですから、習近平は現場の状況をたいして知らないまま、何でもかんでも自分だけの判断で指示を出さなければなりません。そうしたなかで判断ミス、政策ミスが起きるのですが、下の官僚たちは、習近平に対して「あなたの判断ミスでこういう結果になりました」と報告するのも恐ろしくてできません。

さらには、噓の報告や隠蔽が行われ、ミスは是正されないまま、さらに悪い結果を引き起こす、という負のスパイラルに陥っていくわけです。

この武漢発の新型コロナウイルスの中国全国での蔓延、そしてパンデミックを引き起こしたことは「習近平の敗北」に終わった香港問題、台湾総統選に続く「習近平“最大”の敗北」として中国共産党史に刻まれることになると思います。

ひょっとすると中国共産党史の「最期の一章」のタイトルを飾ることになるかもしれません。