2019シーズン、J1制覇を成し遂げた横浜F・マリノス。そんなマリノスは、1993年のJリーグ発足からこれまで数々のタイトルを手にし、多くの日本代表プレーヤ―たちも輩出してきた。そんなトリコロールの歴史の中で、いまもなお色濃く残る出来事をWEBマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』の責任編集を務める、マリノスの番記者・藤井雅彦氏が紹介する。

※本記事は、藤井雅彦著『横浜F・マリノス  変革のトリコロール秘史』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

源流をたどった先に見える伝統の守備

Jリーグが産声を上げた1993年5月15日、開幕戦のカードとして組まれたヴェルデ川崎対横浜マリノスの一戦が国立競技場で行われた。

その試合の主役は、マリノスだった。前半に先制点を許したものの、後半に入ってからエバートンとJリーグ初代得点王ラモン・ディアスの得点で逆転勝利。日本サッカーがプロ化してから最初のゲームで、見事に凱歌が上がった。初タイトル獲得はJリーグ3年目の1995年のこと。

サントリーシリーズを制し、チャンピオンシップではヴェルディ川崎を撃破。ホルヘ・ソラーリ監督の任を引き継いだ早野宏史監督率いるチームがライバルの3連覇を阻むと同時に、Jリーグが開幕してから初めてトリコロールが頂点に立った。

ディフェンスラインには井原正巳や小村徳男といった日本代表選手が名を連ね、高卒ルーキーの松田直樹も高い身体能力で堅守に一役買った。ゴールマウスを守るのはドーハの悲劇の経験者である松永成立、そしてのちに日本サッカーを長きにわたって支える当時プロ2年目の川口能活という、錚々たる顔ぶれだった。

中盤から前にはビスコンティ、メディナベージョ、サパタという新旧アルゼンチン代表トリオがいた。しかしながら当時から堅守を最大の持ち味とし、どちらかといえば堅実なスタイルで白星を積み重ねていった末の初タイトルである。

王者とはリアリストであるべき

2003年、監督に就任した岡田武史監督はとにかく選手たちの意識改革を優先した。個性派揃いの集団に対して、躊躇することなくメスを入れていった。「勝敗の神は細部に宿る」と口酸っぱく言い続け、まずはサッカーやトレーニングに臨む姿勢から変えていこうと試みた。

例えばロッカールームの清掃は選手以前に人としての在り方を正す意味が大きく、ピッチ内への波及効果も大きかった。勝利を追求し、細部を詰めていく作業はもちろんトレーニングにも及ぶ。

岡田監督はグラウンドを周回するランニングの場面で、4つの角に置いたコーンの外側を走らせた。内側を走る、いわゆる“ショートカット”を禁じたわけだが、最初にひとりの選手がルールを守ることが、周囲の選手に好影響をもたらす。巧みな心理マネジメントを用いて、選手たちのベクトルを一本化していった。

当然、トレーニング内容も変化する。肝となるのは、何を目的としているのか。肝要なのは相手ゴールを奪うこと、そして勝利である。かくして岡田監督率いる横浜F・マリノスはたしかな変貌を遂げていく。

クラブが全面的にバックアップしたことも大きい。久保竜彦、佐藤由紀彦、柳想鐵、そしてマルキーニョスを獲得。いずれも主力としてチームに力を還元し、既存メンバーとともに強い集団を作っていった。

就任初年度の2003年は1stステージと2ndステージをともに制し、完全優勝で年間王者の座に輝いた。さらに2004年の1stステージでも優勝を飾り、史上初となるステージ3連覇の快挙を達成。同年のチャンピオンシップでは浦和レッズをPK戦の末に破り、2年連続で年間王者となった。

岡田監督と横浜F・マリノスは、ロマンチストではなくリアリストに徹して結果を出した。