世界に誇る巨星・中村俊輔の復帰
2010年、木村和司監督の招聘とともに、新生横浜F・マリノスの象徴として獲得を目指した選手が、中村俊輔である。
言わずと知れた日本を代表するレフティーで、当時は南アフリカW杯を目指す日本代表の10番を背負っていた。2002年に横浜F・マリノスから欧州へ巣立っていった男の帰還は、大きな話題を呼ぶだけでなく、ピッチ内外でチームに好影響をもたらす。なによりも中村自身にJリーグ復帰に前向きな意思があった。
ただし前年の2009年夏に、獲得寸前のところで交渉が破談になった複雑な経緯があり、予断を許さない。所属していたエスパニョールとの契約を1年以上残していたこともハードルのひとつで、代理人を介しながらの慎重なやり取りを水面下で進めてきた。
交渉がいよいよ大詰めを迎えた2010年2月下旬。嘉悦社長は成田空港を発ち、10時間以上のフライトを終えてバルセロナ・エル・プラット国際空港に降り立った。
ターミナルを出てタクシーに乗り込んだ直後、ラジオから流れるスペイン語のニュースで“Marinos” “Kaetsu”という単語が耳に飛び込んできた。日本のスター選手の移籍報道はスペイン国内でも大きな関心事になっていた。
現地では中村本人が行きつけにしている日本食レストランで会談。終始和やかな雰囲気で会話が進み、最終的な意思確認も行われた。翌日にはエスパニョールの事務所で最終的なクラブ間交渉が行われ、基本合意に達した。
2010年2月26日、中村俊輔が2002年夏以来、7年半ぶりに横浜F・マリノスに復帰することが正式発表された。その2日後の28日には日産スタジアムで加入会見を行った。
「1年半くらい前から日本に戻ることを考えていて、そのクラブはマリノスしか考えていませんでした。マリノスを優勝させて、強くしたい」
こうして日本が世界に誇る巨星が舞い戻った。