いま、誰が日本にプロパガンダを仕掛けているのか? そしてメディアに仕掛けられた中国、韓国、リベラルの罠……。テレビ、ラジオなど幅広く活躍中のケント・ギルバート氏が、日本人が容易に国内外のプロパガンダにかかってしまう、その背景と国民性について鋭く切り込む。

本記事は、ケント・ギルバート:著『プロパガンダの見破り方』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。

世界から見ても日本は過剰に甘い「無警戒」な社会

この記事をご覧になっている方は当然、プロパガンダに関する知識や対処の方法を知りたいのでしょう。しかし、まさか自分自身がすでにプロパガンダに引っかかっているかもしれないとは、少しも考えていないかもしれません。

それは、はっきり申し上げて甘いと思います。とくに、日本人場合。プロパガンダは、案外、私たちの身近なところにつねにあって、しかも上手に意図を隠しています。

そして、私たちがこれから知っていく政治的プロパガンダだけでなく、テレビや雑誌で日ごろ当たり前のように触れている広告、ダイレクト・セールスのトーク、インターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で接している文章、あるいは「振り込め詐欺」などにも、巧みにプロパガンダのテクニックが使われています。

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の置き土産がいまだに効果を発揮している現在の日本で、誰が熱心にプロパガンダをしているのでしょうか。もちろん、プロパガンダの主体は正体を隠していることがほとんどですから、推測的で、陰謀論的になってしまう可能性も否めませんが、やはり反日的勢力の影響を疑うべきだと思います。

▲ダグラス・マッカーサー [出典:https://ja.wikipedia.org/]

なぜなら、現状の日本を肯定的に考える人たち、日本をさらにすばらしい国にしようとしている人たちであれば、わざわざ身分を隠してプロパガンダをする必要はありませんし、もしかしたらもっと素朴な話として、現状にとくに不満はなく、何も政治的な動きにかかわらずに生きているだけかもしれないからです。

反対に、現状の日本を破壊したいと考えている人たち、日本の国益を殺(そ)ぎ、国論をかき回し、PRC(People's Republic of China =中華人民共和国)や韓国に加担しようとしている人たちは、無責任野党、朝日新聞や日本共産党、あるいは日弁連(日本弁護士連合会)のように堂々とやってくれるのであればまだいいのですが、なかには身分を注意深く隠している組織がいる可能性を念頭に置いておくべきでしょう。

日本はとても独特な社会であるために、すばらしいところもたくさんありますが、同時世界から過剰、無警戒社会でもあります。その典型例としてプロパガンダに対する無理解や危機感のなさが容易ならぬ状態です。

なぜ、日本人はハワイを安全だと思っているのか?

日本人は、その歴史的、地政学的、文化的な背景から、たやすくプロパガンダに引っかかってしまう傾向にあります。なぜなら、性善説が社会の前提になっているからです。これを示す、シンボリックなエピソードを紹介しましょう。

▲ハワイの海岸 イメージ:PIXTA

かつて私は、ある日本のテレビ番組に同行して、ハワイの警察に3日間、密着取材をしたことがあります。すると、犯罪の被害に遭った日本人に次々に出くわします。なかでも忘れられないのは、ビーチで財布を取られてしまったという人でした。警官が被害届を受理するため、くわしく事情を聞きます。その様子はこんな感じでした。

警官 「財布はどこに置きましたか?」
女性 「日光浴をしていたところの枕の下に置いていました」
警官 「枕の上で寝ていれば持っていかれないでしょう」
女性 「いや、ちょっと泳いできたら、なくなっていました」
警官 「なぜ、ビーチに貴重品を持ってきましたか? 部屋にセーフティーボックス(金庫)があったのでは?」
女性 「ありましたが、一緒に来た友人が『セーフティーボックスに入れたらかえって盗まれるかもしれない』と言っていたので……」

これにはさすがに警官も私も呆れてしまいました。彼女が宿泊しているのは世界的に名の通った一流ホテルでした。つまり、彼女は、アメリカの立派な事業者が用意しているセーフティーボックスより、一緒に旅行に来ている、おそらく海外の事情にはくわしくなさそうな日本人の友だちの説を信じてしまったのです。

ただ、同時にとても日本人らしい思考だとも思いました。まるで、日本国憲法前文のリスクをそのまましています

前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と高らかに謳っていますが、この彼女は、財産を守ってくれる武器(セーフティーボックス)の存在がかえって犯罪者を引きつけやすいと考え、同時に枕の下に財布を置き、取ったことがバレない状況であっても取ってしまう人はいない、まさか取られないだろう、という考えでいたわけです。あまりに性善説に毒されています。

ハワイで短時間にさまざまな事件を見た私は、日本人観光客の無警戒さに驚かされるばかりでした。そこで、恐るべき無警戒さで「なんでも大丈夫」だと思い込んでしまう日本人の「性善説」を悟ったのです。