日本人の「性善説」が生んだ振り込め詐欺

ハワイの例は、そのまま日本人全体の性善説の強さを示しています。まさかそんな恐ろしいことはないだろうとか、他人はみんな善人だ、むしろ他人を疑うことそのものがいけないことだ、という考え方が広くいいものだと考えられているために、世界でもまれにプロパガンダにっかかりやすいたちになってしまっているのです

人を疑わないことが必ずしも悪いというのではありません。日本国内で、伝統的な国民性を維持している日本人だけで暮らしているのなら、それなりに注意していればそれでいいのでしょうし、それでよかったからこそ、いままで治安のいい国を受け継がれてきているのでしょう。

ただ、全世界の人が日本人のように他人を疑わず、信用することを前提として生きていければいいのですが、それが難しいことは、いま多くの日本人が感じているはずです。最も近い国、日本、PRC(People's Republic of China =中華人民共和国)、韓国で比べてみましょう。

子どもを学校に送り出すときになんと言いますか?

日本では、「みんなと仲よくしてください。仲よくしましょう」と言います。
韓国では、「一番になりなさい」、または「負けるな」と言います。
PRCでは、「騙されないようにしなさい」と言います。

このような幼児教育を受けた人たちを相手にして性善説外交を行えば、ナメられますよ。ちなみに、アメリカでは、「Be good =正しいことをしなさい」と言います。

一方で、世界ではすべてにおいて性善説が無効かというとそんなこともありません。典型は交通信号です。信号が赤なら止まらなければならない、というルールは世界中のほとんどの人が共有していますが、これを裏返せば「自分の側の信号が青なら、反対から赤信号を無視して突っ込まれることはないだろう」という性善説、相互の信頼が成立していることを示しています。

ただ、日本の場合は信頼のラインが高すぎます。詐欺はそのおかげで成立しているわけです

▲日本人の「性善説」が生んだ振り込め詐欺 イメージ:PIXTA

あまり人を疑わない、疑うことをよしとしない社会は、それだけ悪人が少ないことを示しています。これは同時に、悪人が少ないなかであえて悪人でいると、いいパフォーマンスを得られるということでもあります。

江戸時代の日本であれば、共同体からの孤立は「死」を意味しますから、多少のいざこざがあろうと、互いにある程度は信頼するし、信頼されようとします。それはきわめて日本的な社会を生み出す原因になりましたが、同時開国をさせるためにやってきた国々にはうまく利用されてしまう背景となり、現在にもつながっているわけです