パチンコに消えていった写真屋さんでのアルバイト代

親父とパチンコデビューして、いわゆる「デジパチ」の破壊力を知った僕。初めてのバイトを経験したのもこの頃でした。

街の小さな写真屋さん、土日だけ、時給850円。18歳でパチンコデビューしたのが高専3年生の頃。高専の4~5年生をこのバイトをして過ごすことになります。そうすると、月に6万円前後の収入が得られる計算になります。

そこまで大繁盛している店舗でもなかったですし、作業量を考えたらちょっと割のいいくらいのバイトでした。世にはデジカメが出始めた頃合い、ということもあって、徐々にフィルム写真が衰退していったのもこの頃だったと思います。

とはいえ(現在も割と)ですが、物欲のない僕。当時は実家暮らしということもあって、そこまでお金が掛かることもありません。何か欲しいものがあったからバイトをしてお金を貯めて……ということもありません。バイトの給料日は毎月10日でした。毎月、その日がやってくると、例え出勤対象でない平日だったとしても、学校の帰りに急いでバイト代を受け取りに行きました。理由は簡単ですね。

パチンコだな。

デビューの頃は羽根モノを中心に打っていましたが、バイトも始めて、ある程度のお金はできるようになった。だったら「現金機デジパチぐらいは打ってもいいんじゃね?」みたいなね。この頃から、僕はデジパチを積極的に触るようになっていきました。

まぁ~、負けてましたけどねぇ~! ひと月の稼ぎをほとんど一日でパーにしたみたいなことも、一回ではなかったと思います。ダメ学生じゃん、コレ。でもしょうがないですね。やっぱ、楽しかったんだと思います。

親父に連れられて、初めて打った台が『CRフィーバークイーンJX』というドラム機だったことも多大に影響したのでしょう。「ドラムの動きがカッコいい!」って思って、当時の僕は、SANKYOのドラム機ばっかり打った記憶があります。

当時のSANKYOのドラム機で、不動の人気を博していたのは説明不要『フィーバークィーンII』ですね。とはいえ、フィーバークィーンIIが登場したのは、1993年のこと。僕が18歳の頃が、だいたい1998年から99年くらいなわけなので「それだけロングランしてホールに置かれていた」ということになります。

フィーバークィーンIIのプレー動画[golgo1133golgo1133さんのYouTubeより]