ライブハウス・ロフトを存続させるため「2億数千万円を借金した」と明かしたロフト創始者の平野悠さん(75歳)。本人に会ってみると、意外にも余裕さえ感じられた。「みんな、悲壮な覚悟で2億円借りたとか言ってるけど、適当です。大丈夫です」と笑う。
「だって無担保・無保証人、基本的に30年で返す。そのころには俺、死んでるから」
49年前に平野さんが作ったライブハウス・ロフト
新型コロナウイルスの感染拡大で苦境に立つライブハウス。全国に12店舗あるロフトも決して例外ではない。運営するロフトプロジェクトは、店舗の閉鎖や約50人いる社員のリストラをすることなく、これを乗り切ろうとしている。日本政策金融公庫などを通じて2億数千万円を借りたのだ。平野さんは「これで1年は持つ」という。
3月末には『LOFT HEAVEN』(東京・渋谷)から、新型コロナウイルスの感染者が出た。
「よりによって、ウチかよって」
ロフトプロジェクトの社長から連絡を受け、平野さんは衝撃を受けた。49年前、日本にロックやフォークを演奏する専門のライブスペースがなかった時代に、平野さんが作ったライブハウス・ロフト。そのロフトから感染者が出たのだ。
「これが因果か、と。(漫画家の)根本敬がいう『因果鉄道』だ。あの人には『平野さんは因果者です』って言われたけど、本当に因果がまわってきた」(平野さん)
「因果」とは、ある行いが、のちに訪れる事象を決定づけるという仏教用語でもある。
感染者が出たことが報じられると、ロフトをはじめ、ライブハウスはネットで非難された。「もうメチャクチャに叩かれて。最初の1カ月はボロボロですよ。僕は叩かれるのが好きだけど、打たれ弱いんです」と平野さん。
「だから取材をうけるのは、感染者が出たって宣伝するためじゃなくて、本(6月に刊行した著書『定本ライブハウス「ロフト」青春記』と『セルロイドの海』)を売るため(笑)」
冗談まじりに話す平野さんだが、ロフトへの思い入れは強い。前述したように2億数千万円を借り、当面の運営費に充てることにした。
「ライブハウスなんてのは、昔はロック好きの学生が、就職するまでのあいだ働くものだった。でも今は、家庭や子供を持っている人もいる。会社がヤバいからといって彼らのクビを切って、俺だけいい思いをするってのは、とてもじゃないけどできない。うち(ロフト)の社長は、国会の前で『原発反対!』とかやってるリベラルな人。左翼は労働者のクビを切れないですよ」
しかし、それだけの額を借りられたのは、長年に渡ってロフトが築き上げてきた信用があってこそだと平野さんはいう。
「(創業から)50年近く、何度もお金を借りながら、ちゃんと返してきた。銀行とはうまく付き合ってきたんです。エロテープを貸したりね(笑)。なんでそうやって付き合ってきたかっていうと、いざという時にドンっと出る環境を作っておきたかったから」
今回の新型コロナ感染は、まさに「いざという時」だった。