休みの日に感じた漠然とした不安

先述したように、僕は馬場さんの弟子だったので「自分は死ぬまでプロレスラー」というイメージがありました。

だからプロレスを辞めると決断した時、すごく苦しかった。極端に言ってしまえば、僕は「プロレスを引退したら死ぬのかな」と本気で思っていました。

プロレスラーになるために頑張ってきて、プロレスラーになって数々のチャンピオンベルトを巻き、プロレスラーであることこそが自分の存在意義でした。だからプロレスの次の自分は全然想像がつかなかったのです。

引退試合までは、できる限りのベストのコンディションを作るために気が張っていましたし、引退直後もテレビ出演、全国でのトークショーやサイン会、本の執筆などびっしりスケジュールが入っていて忙しかったのを覚えています。

リングを降りても、そうした仕事で人前に出ていたから気が張って、しばらくはプロレスラーの気持ちが持続していたのだと思います。それこそ「何をしても生きていける!」くらいの気持ちになっていました。

でも、個人でやっていくということは、“挑戦”であり安定とはまったく別の生き方を選ぶことを意味します。

たとえば、レスラーをやっている時も安定こそしていませんでしたが、団体に所属しています。でも、その保証は完全になくなりました。仕事が毎日のように入る月もあれば、週に2~3日という月も出てきて、安定感がないように感じるのです。

自分はやっていける。いや、大丈夫かな……実際は、いろんな仕事をいただいていたし、ありがたいことに引退後も毎日忙しくしていましたが、オフの日があるだけで、どこか漠然とした不安感を抱いてしまうのです。

▲休みの日に感じた漠然とした不安 イメージ:PIXTA

読者の方の中にも、会社勤めを辞めてフリーで頑張っている、という方もいらっしゃると思います。一方で、先々には「食べていけるかな」「家族は大丈夫かな」「仕事がなくならないかな」といった漠然とした不安も同居していると思います。

それはプロレスラーだった僕も一緒です。46歳にして引退し、その前にはノアも退団していました。まだまだ先の長い人生、正直に言えば不安になることもあります。

そんな中でも、前を向くことだけはやめませんでした。心のどこかに漠然とした不安を抱えながら、また新たに「戦っていくぞ」という気持ちを抱き続けてきたのです。

苦労しながらも自分の道を見つけるのが人生

引退後は、プロレスの解説以外にも、講演活動などの未経験の仕事に挑戦し、小さな種を蒔いてきました。

僕はリングの上での試合がすべてでしたし、人前で話すことは決して得意ではありません。それでも他の人の講演会を聞きにいって勉強したり、60分や90分を1人で話すという自身の経験を積み重ねていきました。

結果、ここ数年は講演依頼も少しずつ増えていますし、尚美学園で講義を行ったり、協栄スポーツクラブさんで"プロレスエクササイズチャレンジ"を開催したりと、今現在もいろいろな新しいことに挑戦しています。

これまでの人生を思い起こすと、プロレスラーにも高校を卒業してすぐになれたのではなく、社会人になって回り道をして、一度は書類選考の段階で落とされながらも、辿り着くことができました。

書類選考で落とされた時に僕は、自分より年齢が上で体が小さい菊地さん、北原さんが入門しているのに、なぜ自分は駄目なのか納得ができずに全日本プロレスの事務所に電話をしました。

「彼らは格闘技の世界で実績があるから大丈夫なんだよ。でも君はすでに20歳という年齢で、格闘技の実績がないんだから、違う仕事を探したほうがいいよ」

それが答えでした。諦めきれない僕は、通っていたジムのオーナーに相談し、その伝手(つて)で国際プロレスのレフェリーをやっていたことがある遠藤光男さんを紹介してもらい、滋賀県立体育館で馬場さんに面接していただいて入門を許されました。晴れて全日本プロレスに入門できた僕は、自分に言い聞かせました。

「格闘技の実績がないからと言われたけど、実績なんていくらでも作れる。20歳ぐらいまでに作った実績よりも、それからの人生のほうが長いんだから、同じリングに立ってからが勝負……自分次第でいくらでもやれる!」

同じように、これから先の人生も、苦労しながら自分自身の道を見つけていくんだろうな、と思っています。

▲苦労しながらも自分の道を見つけるのが人生 写真:

「人生に近道はない」

そう胆に銘じて、毎日を懸命に生きています。