絶対王者としてプロレス界の頂点に君臨した"鉄人"の異名を持つ名レスラー・小橋健太さんに、突如として降りかかった腎臓がんの発覚。だが、本当の試練は手術を終えた後に待っていた……。もっともつらかったという術後の心境などを、赤裸々に語ってくれました。

※本記事は、小橋健太:著『がんと生きる』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

退院が決まっても前向きになれない心

頑張るしかない。でも、いつでも頑張れるわけではない。すでに十分に頑張っている人もいるし、誰にだって頑張れないときがあります。

復帰は別として、プロレスが好きなのは変わらないわけだから、テレビやビデオも観て、自分から遠ざけるようなことはしませんでした。

欠場して手術を受けると決まった時、高山選手に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、僕の代打として出場してくれた佐々木選手が、左眼窩底骨折だったのを隠して強行出場してくれたと聞いたので、高山選手の復帰戦はVTRでしっかり観ました。

歩けるようになってからは、病院の売店にスポーツ新聞を買いに行ったりもしました。『週刊プロレス』や『週刊ゴング』にも目を通していたと思います。しかし、手術前日に「復帰する」から「まず生きる」にシフトチェンジしたとはいえ、術後に襲ってきたのは不安と絶望感と恐怖です。

「生きてはいるものの、プロレスができなくなって、これから何をして生きていけばいいのか?」

絶望の中にいた僕は一日中、病室のテレビをつけっぱなしにして、ボーッとしていたこともあります。

「今後は、皆さんからのご声援を励みに、復帰に向けて、少しずつリハビリしていきたいと思います」退院に際して、そうコメントを発表しましたが、実際にはとても前を向けるような状態ではありませんでした。

「大抵のがんは5年再発しなければ完治と言われますが、腎臓がんの場合には10年です。10年間はゆっくり過ごしてください」

退院する日、担当の中井川先生はそう言いました。10年経ったら49歳。僕は早生まれなので、学年としては50歳の人と一緒という計算になります。

「一番バリバリやれる、男の働き盛りの40代を何もせずに過ごせと言われて、じゃあ、何をやればいいのか?」

ようやく退院を迎えたのに、僕には術後と変わらず……いや、その時以上の不安と絶望と恐怖しかありませんでした。

少しも光が見えない状態でした。心は完全に闇です。つい1か月前まではチャンピオンベルトを巻いて、これからの夢や希望を語っていたのに、負けずしてベルトを返上。さらには、いきなり何もできない体になってしまったのです。

チャンピオンベルト戴冠からの落差があまりにも大きかったので、とても前向きな気持ちにはなれませんでした。それ以前に、不安や恐怖が襲ってくるのです。

"鉄人"だったのにコンビニにも行けない・・・

今振り返ると、退院したあとの記憶がほとんどありません。がんのような大きい病気をしたら精神的にも参ってしまう、精神的な病気にもなってしまうんだ、ということを身をもって知りました。

大きな病気をした人は、気力も失くすというのが本当に分かります。退院してから2週間ぐらいは、家に引きこもって一度も外出しませんでした。

太陽が昇ってから沈むまで、ただ溜息をついていたと思います。なぜか朝早く目が覚めて、ただ時間だけが過ぎて夕日を見ると、またつらくなる。

「どうしよう……これからどうなっていくんだろう……」

そんなことを思うと、考えるだけ苦しくなってしまいます。もう髪の毛が抜けそうなぐらい、不安がガーッと襲ってきて、絶望感に押し潰されそうになっていました。家の中でも歩くのはトイレに行く時だけ。

「退院すると点滴を打たなくなりますから、その代わり腎臓を濾過するために、水分を補給してください」

先生の指示で水だけは一日に1.5Lから2L飲み、なるべくトイレに行くようにはしていました。トイレ、水分補給と食事、あとはただソファーに座って、ボーッとしていただけだったような気がします。

2週間ほどしたある日、久しぶりに家を出て外の空気を吸いました。ふと近くのコンビニに買い物に行こうと思ったのですが、ふらふらして歩けない僕がいました。

▲"鉄人"だったのにコンビニにも行けない・・・ イメージ:PIXTA

家からわずか200~300mの距離なのに動悸・息切れ・めまいで、頭がくらくらしてまともに歩けないのです。しかもすでに8月になって暑い日だったので、汗がドッと噴き出してしまったのです。