頑張ったことは必ず自分に返ってくる!

「20歳までの実績なんて努力次第で逆転できる!」。そう思ってひたすら練習に打ち込みましたが、相撲出身の高木(功)さんや田上さんは、馬場さんからドロップキックをマンツーマンで教えてもらうことができても、僕はその練習台です。

「どうせ俺は、必要とされないのに入った一介の新弟子だから……」

そこでクサっていたら、のちの僕はなかったと思います。もちろん悔しい気持ちもありましたが、高木さんや田上さんのドロップキックを受けながら「これも受け身の練習なんだ」と気持ちを切り替えて練習台になっていました。

それからも、僕がほかの格闘技で実績を上げた人たちに勝てるとしたら練習量しかないと思い、朝起きて練習して、合同練習をやって、ちゃんこを食べて少し昼寝をしたら、また練習して、寝る前にも練習して……と、練習漬けの毎日を送っていました。

僕の練習量を見て、変人扱いする先輩もいましたが、全然気になりませんでした。人のためにやっているのではなく、自分のためにやっているわけだから、人に何を言われようが気にせずに、将来のために日々を送りました。

“全日本プロレスにいらなかった人間”の僕が、自分自身でやっとスタートラインに立てたと思ったのは、90年4月9日に岡山武道館でタイガーマスクだった三沢(光晴)さんと組んで、ダニー・クロファットとダグ・ファーナスのカンナム・エキスプレスからアジア・タッグ王座を奪取した時です。デビューから2年2か月が経っていました。

自分の居場所を作るのは大変なことかもしれませんが、とにかく頑張る。結局は自分に返ってくることなので「自分でどれだけやるか」だと思います。

▲頑張ったことは必ず自分に返ってくる! イメージ:PIXTA

最後の最後は自分自身で立ち上がる

僕は常にポジティブに復帰に向かって邁進していたわけではありません。一回、どん底に落ちました。

退院して家に引きこもっていた頃は、苦しくて息もできませんでした。背中が丸まって顔から笑顔が消えていました。自分では気づいていなかったのですが、妻の真由子に聞いたら、その頃の僕は全然笑っていなかったといいます。

そんな状態の時に重要なのは、看病・介護してくれる人の存在です。人それぞれに性格が違うので、励ましたほうがいいのか、そっとしておいてあげたほうがいいのかは難しい問題です。どちらにしても目を配ってあげるということが大事です。

手で支えてあげたり、いろいろと助けてあげることも大切ですが、その人の行動もよく見ておかないといけません。予期せぬ変なほうに走ってしまう人もいるからです。それだけ精神的に参っているわけです。でも、やはり最後は自分自身に立ち上がろうとする「想い」と「行動力」がないと、誰もサポートできません。

自分で立ち上がろうという意識を持たなければ、周囲からどんなに励まされても、いいアドバイスをもらっても右から左。うるさいと思うだけで何も心に響いてきません。そんな状態では、立ち上がるヒントやきっかけに気づくことはできません。

落ち込んだ分、現実の自分を受け止めて、自分の足で立って歩こうとしなければ、何も始まらないのです。

今、僕はこうして元気に生きています。でも、それは12年前にはわからなかったことで、その時その時を全力で生きてきた結果として今があります。

今日を一生懸命に生きなければ、次の日はない。その積み重ねこそが未来です。「もしかしたら、小橋建太としての生き方をしても10年生きられるかもしれない」。そう思って毎日を無駄にせず全力で過ごし、実際に生きることができました。

いろんな思いもあった年月ですが、幸せな引退もできましたし、結婚もして子どもの顔を見ることもできた。改めて僕は幸せだと思います。

がんになったから終わりではありません。病気になってしまったから、次をどうするべきかをしっかりと考える。自分自身で立って歩こうとする行動力と精神力が、次の自分を、次の新しい人生を作っていくものだと僕は信じています。

▲最後の最後は自分自身で立ち上がる

〇ジャンボ鶴田 試練の十番番勝負(YouTubeチャンネル)