上皇陛下が皇后陛下とともに、被災地や戦跡をはじめとして全国各地を御巡幸されるお姿は、平成の間に私たち国民の目にすっかり親しいものになったが、皇室の歴史の中で明治天皇が開かれた「新しい先例」である。両陛下が全国を回られることで、訪問される地域では何が起こるのかを近現代史研究家の江崎道朗氏が解説する。

全国をくまなく巡られた平成の御巡幸

上皇陛下が皇后陛下とともに、被災地や戦跡をはじめとして全国各地を御巡幸され、行く先々で地元の人々にきめ細やかにお言葉をおかけになる姿は、平成30年間の間に、私たち国民の目にすっかり親しいものになった。

全都道府県をくまなく訪問して各地の実情を見ることや、災害が起こったときに、苦しみ悲しむ人々を訪れて話を聞き、励ますことを、陛下は象徴の大切な務めとして渾身の御努力で続けて来られた。

平成の30年が過ぎた今、国民皆が陛下の御献身ぶりを知っている。陛下は平成15年までに全国の47都道府県のすべてを御巡幸された。

その後も御巡幸は続き、平成30年間で全都道府県それぞれを2回以上御訪問されている。平成30年8月までの時点で、各都道府県御訪問回数は総計で500回を超える[竹内正浩:著『旅する天皇』(小学館:刊)]。

もしかすると私たちは、今となっては、陛下が全国を回ってくださることを、むしろ当たり前のことのように思ってしまっているのかもしれない。

だが、天皇の地方行幸は皇室の歴史の中で当たり前だったわけではない。「巡幸」という言葉は古くは日本書紀に出てくるが、天皇が自ら全国を回って国民の状況を深く知ろうとされる地方巡幸は、皇室百二十五代の歴史の中で明治天皇が開かれた「新儀」、つまり「新しい先例」なのである。

▲「第38回全国豊かな海づくり大会」にて 出典:ウィキメディア・コモンズ( 環境省ホームページより)

昭和天皇も明治天皇の御巡幸の志を受け継ぎ、敗戦と占領に痛めつけられた国内各地を御巡幸され、国民を励まされた。上皇陛下の御巡幸も、明治天皇・昭和天皇のお気持ちを受け継がれている。そして、全都道府県をもれなく御巡幸されたのは歴代天皇で初めてのことである。

昭和天皇の地方御巡幸は、昭和20年代の全国御巡幸のあとは、全国植樹祭と国民体育大会秋期大会御臨席のための、年二回のお出ましを慣例とされていた。陛下はこの二つに加えて、全国豊かな海づくり大会への御臨席を加えられ、さらに「隣県御訪問」や「地方事情御視察」という新しい行幸啓の仕組みを始められた。

「隣県御訪問」とは、植樹祭・国民体育大会・海づくり大会の開催県御訪問の際、隣県一県にお立ち寄りになるというもので、平成3年から続けられている。さらに平成4年からは、地方事情の御視察だけを目的とした行幸啓を始められた。

国家・国民に尽くすとは、すべての都道府県の国民の実情を自分の目で知ること――そのようなお考えのもと、全国をくまなく巡る平成の御巡幸を続けて来られたのである。それは、昭和天皇の志を受け継いで戦後復興を見届ける旅でもあった。

▲天皇在位中の上皇陛下 出典:ウィキメディア・コモンズ(外務省ホームページより)