張型のサイズは現代人のサイズとほぼ同じ
春画では読者の笑いを誘う誇張表現として、男性も女性も性器を大げさなサイズで描くことが多いので、実際の性具の大きさはどのようなサイズだったのかと疑問に思ってしまいます。
ネットオークションの争奪戦に買って手に入れた張形(いわゆるディルド)を持っているのですが、この張形の長さは約11cm・直径は約3.5cmです。
張形はセックスにも使用されたのですが、女性のセルフプレジャー用としても使用されていたためか、わたしの所持しているものは、女性の体の負担が少なそうなコンパクトなサイズです。
もちろんオーダーメイドで製作することもあったようなので、目を疑うような特大サイズもあったのだろうと思いますが、以前にコレクター様に見せていただいた男根に装着する性具も、現代の日本人男性のサイズとさほど変わらないと感じました(春画―ル調べ)。
江戸期に出版された『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』からは、四ツ目屋が地方からの注文を飛脚便で発送対応をしていたこともわかり、全国で人気の店だったこともうかがえます。
京都にあった「京四ツ目屋」
京都には安政年間にできたという「京四ツ目屋」があり、のちに「長齢円(ちょうれいがん)」という店名になったそうです。江戸にあった四ツ目屋との関係性は定かではないのですが、大正二年発行の『大阪日日新聞』第三千三十号に掲載された長齢円へ取材記事で、店舗が風前の灯火であったことがわかります。
明治42年2月に、この店は検事局に検挙され性具や秘薬、春画などを山ほど押収された挙句に、風俗壊乱でかなり罰金を科せられたそうですが、大正2年時点ではまだ経営されていたようです。
取材者が黒行燈が灯された店に入ると、主人の杉舘勇太郎氏が「いらっしゃいませ」と迎えてくれ検挙後の商売状況を聞くと、このように返ってきました。
「へい この店は二百年にもなりましょう代々続いて明治七八年頃になりますと主人の後家さんが坊さんに入れ揚げて黒行燈が断絶しかけましたのを私の養母”杉舘まさ”が譲り受けその跡を継いで私がやって居ります。検挙されますまでは色々な道具を宅へ置きましたがそれ以後は御注文のあり次第こしらえて渡し致してます」
「道具の種類は十二通りあります、春画も今は宅にありません。春画なんか店前で売っちゃ悪いでしょうがお客を奥へ通して内々でご覧入れる分には差し支えなかろうと思います。また例の道具も表から売ってくれてなことを言ってくる人にはありませんとお断りします。一寸見て買う人だと目星をつけますと二階へお通し申してあれこれご覧に入れるのです」
当時のお客の層としては、
- 芸者衆を連れた酔っ払いの客が面白半分で来る
- 中流階級の若い奥様風の方
- 娘さん、女学生、尼さん
が来ていたようです。ご主人いわく、昔は娘さんが盛んに店に来ていたようで、大型の張形からご覧に入れたという話もあったようです。このように聞くと、当時は女性客が多かったのかと想像してしまいます。
完全にこの店が閉店してしまったのは、いつなのでしょうか。わたしの自宅に保管している張形には、たくさんの使用跡があるのですが、木箱に収められ持ち主によって丁寧に扱われていたことが見てわかります。四ツ目屋に通っていた当時の人々も、営みを楽しむために店に足を運んでいたのでしょう。
笹間良彦編:著『好色艶語辞典』雄山閣
編集委員 谷沢永一・吉野孝雄『宮武外骨著作集 第五巻』河出書房新社