新型コロナウイルス(COVID-19)による感染者数145万人、死者数53775人。100万人あたりの死者数829名――不名誉な数字が出てしまったイギリス。[参考:https://coronavirus.data.gov.uk/ ]初動の遅れ、ちぐはぐな対策、医療設備や防護服の不足、国民の健康状態など悪化の要因を挙げればきりがない。
私が住んでいるのは、世界遺産の街として知られ、夏には世界中からフェスティバルを楽しむ人々が訪れるエディンバラだ。人生の3分の1以上を過ごし、第2の故郷とも言えるこの街はCOVID-19で予想以上のダメージを受けた。
マスメディアのニュースからは伝わりにくい人々の暮らしや、街の様子を現地在住者の目線でリポートしてもらった。
それはじわじわと音もなく始まった・・・
COVID-19が中国湖北省武漢市で最初に確認されたのが2019年11月22日。日本でダイアモンドプリンセス号の問題が勃発した2月初頭、まだ英国では対岸の火事を見るような思いだった。
実際には、最初に英国での感染者が認められたのが1月31日。2月末にイタリア北部で爆発的な感染が起こった時ですら「長期の不景気のため、医療設備が整っていなかったからでは?」「抱擁の文化のある南欧と、こことでは違う」とタカを括っており、英国はコロナを抑えていると信じていた。
人の流れが止まることもなく、スコットランド政府も大きなイベントは3月12日まで規制せずにいた。
英国がイタリアよりマシだという思い込みが間違いであったことは、すぐに明らかになった。すでに症例が報告され、職場で手洗いや消毒が奨励され、店の棚から消毒ジェルが消え、人々がレジャーを控え始めた3月初頭、首相自らが官邸で閣僚を招いてレセプションを行っていた。
のちに保健相が、すでにCOVID-19に感染していたことが発覚。ボリス・ジョンソン首相、アドバイザーのカミングスや内閣のメンバーの数人にCOVID-19の症状が現れた。5月の半ばには、英国の感染者数はイタリアやスペインを抜いた。
振り返ると、この初動の遅れは多くの人にとって命取りとなった。EU離脱のために組閣されたと言っても過言ではないジョンソン内閣のCOVID-19対策は、迅速とは言えなかった。
街は少しずつ自粛からロックダウンに向かって静かになっていき、3月のまだ肌寒いエディンバラに不穏な空気が流れていった。会社から本社閉鎖とキーワーカー以外全員の自宅待機の指示が出たのは、それから間も無くだった。
我が家でリモートワークが最初に始まったのは一般企業に勤める私。その次に子どもたちのハイスクール(日本の中学高校に当たる学校)が一斉閉鎖になり、リモートで授業が進められることになった。4月頃まではキーワーカーとして頻繁にオフィスに通っていた夫も、しばらくするとリモートワークに切り替わった。
急遽4人が快適に過ごせるよう部屋のレイアウトを変えた。買い物に行くのは私一人、当初は義務付けされてはいなかったが、私は日本にならって必ず店内ではマスクを着用し手洗いをまめに行った。
靴は必ず玄関で脱ぎ、COVID-19を家に持ち込まないように暮らす。なるべく普段と変わらないスケジュールで、朝はほぼ時間通りに起き、子供は9時には机に向かう。一日1時間の運動は必ず行い、健康な食生活を心がける。
初めの頃こそ買い占めが起こったり、トイレットペーパーやパスタ、牛乳などの必需品がスーパーの棚から消えたりしたが、その後の供給は安定しており買い占めをする人も現れなくなった。