大人になって感じる偉大な物語
セーラー戦士たちが強くなるたびに私たちも強くなれるようで、当時は新しいコンパクトやステッキが出るたびに買ってもらい、セーラームーンに関するアイテムはいくつ手にしたかわかりません。余談ですが、ファングッズであるカセットコレクションのキャラクターの自由奔放な様子は見事なものでした。
シリーズによってその表情はさまざまで、このあたりは世代によって分かれますが、自分がとにかく夢中になったのは『セーラームーンR』です。前作の悲壮なる最終戦から転生して元気な彼女たちに会えた時は、また私も生きていけると小学生ながら強く思ったもので、今でも語り継がれる劇場版は衝撃的なものでした。
『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』とは……
この作品をご存知ない方に向けて簡単にお伝えすると、美少女戦士セーラームーンこと月野うさぎのボーイフレンドであり、タキシード仮面様でもある地場衛(ちばまもる)。彼は幼い頃に事故で両親を失い、孤独の身となっていたところで異星人フィオレと出会います。孤独を抱えた者同士、心を交わす2人ですが、やがて別れの時がやってきて……その際に、衛はフィオレへ薔薇の花を手渡し、それはフィオレにとって宝物となり、今度は僕が花をいっぱい持って帰ってくるからね……とフィオレが誓う流れで時が経ち、衛と再会するところから始まるのです。
誰かに何かを貰ったら、同じくらいかそれ以上に返さなければならないと思うことはありませんか? 私は、ありました。
フィオレの場合は特に、そうしなければ衛くんとの関係が途絶えてしまう、早くお花をたくさん持って行って彼と一緒にならなければと、その純粋さ故に、邪魔なうさぎたちを排除しようと考えるのです。
当時のメモリアルアルバムでは「ものすごく人間不信に陥った彼を一人の女の子が救う」と紹介されていたもので、子どもの頃はセーラー戦士たちの視点で見ていたはずが、いつの間にか人間不信のそちら側に、大人になってから異星人フィオレの視点で見ている自分がいました。
特に後半の、心の弱さに付け込んだキセニアンによってダークサイドへと落ちたフィオレの台詞の数々……
「孤独が、僕や衛くんの孤独がお前にわかってたまるか、孤独を知らぬお前に」
「この世に生まれたことを不幸だと感じたことのないお前たちに何が分かる」
「仲間が、友達のいない寂しさがお前たちにわかるか」
「誰にも理解されない者の寂しさがわかってたまるか」
この悲痛な叫びの数々は、ふと独りになった時に訪れる悲しみのようで、状況は違えど誰もがフィオレのように成り得るかもしれないと、そして物語が進むにつれ、月野うさぎに救われてゆくのを感じるのです。