世界の安定に直結しているのは、約70年も続く日米安全保障条約と日米同盟、つまり日本とアメリカの関係性にかかっている。そんな世界のキープレイヤーとして注目されている日本を覚醒させるべく、歯に衣着せぬケント・ギルバート氏が解説。ここでは、誤訳に基づいた「平和主義」の言葉が独り歩きした理由を明らかにする。

※本記事は、ケント・ギルバート:著『強い日本が平和をもたらす 日米同盟の真実』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

間違って翻訳された「平和主義」

「平和主義」という言葉ほど、日本人がよく使う言葉はないと同時に、これほど日本人がよくわかっていない言葉はないでしょう。

あらためてよく考えてみてください。平和主義って、なんですか?

戦わなければ平和になるのでしょうか。日本の隣には核兵器を持ち軍備拡充に余念のない、PRC(People’s Republic of China =中華人民共和国)という国があり、北朝鮮という国があります。そういった国々に対して塀を建てないでいれば平和になるとでも言うのでしょうか。玄関に鍵もかけないでいることが平和につながるのでしょうか。

「平和」という言葉自体に意味はありません。「平和」という言葉に明確な定義などありません。その言葉を使う人の主観だけで決まっていくものです。したがって「平和」という言葉には、実は意味はないのです。

さらに、ちゃんと知っていて欲しいのは、日本語の「平和主義」は誤訳である、ということです。「平和主義」は、実は間違った翻訳です。

英語に「pacifism(パシフィズム)」という言葉があります。「不戦主義」または「反戦主義」という意味です。この「パシフィズム」を日本語に訳したとき、不戦主義ではなく「平和主義」にしてしまったのです。

ここに「平和=絶対に戦わないこと」という致命的な勘違いが誕生しました。勘違いというよりも「願望」と言ったほうが正しいでしょう。軍隊を持たずに戦争のできない国でいれば平和になると言いたい人たちが、不戦主義を平和主義と訳して広めたのです。これは、プロパガンダの一種だと言えるでしょう。

▲降伏文書に署名する梅津美治郎 出典:ウィキメディア・コモンズ

平和ボケの原因を作っている憲法第9条

日本国憲法は平和主義憲法だとよく言われます。特に、憲法第9条があるから日本は平和なんだ、と言うわけです。

【日本国憲法 第9条】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

何度読み返しても、これはひどい条文だと思います。とはいえ誤解のないように付け加えておきますが、私は日本国憲法をまるごと完全否定しているわけではありません。

▲連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー 出典:ウィキメディア・コモンズ

いずれは、すべての条文を見直してGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)草案からの翻訳ではない「自主憲法」を制定すべきだとは思いますが、それ自体は緊急課題ではありません。私は講演会などでよく、日本国憲法は、今日の社会に必要なものはだいたい盛り込まれている、機能的でまあまあ使える「既製品」だと言っています。世界のどこにでも通用する汎用的な既製品であることは間違いありません。

ただし、日本国憲法は第9条があることでXYZ状態になっています。「Examine Your Zipper=社会の窓が開いている」状態です。これではいけません。

憲法第9条は世界には通用しません。「ファスナーを開けっ放しで恥ずかしくないのか」と嘲笑されるだけです。実際、憲法9条のわずか数行の文章は、戦後日本を弱体化させ、無用な議論を生んで人々を悩ませ、とりわけ国防を担う自衛隊員に多大な制約と我慢を強いてきました。

外国に対して憲法第9条を臆面もなく誇らしげに語るのは、実はとても恥ずかしいことなのだ、ということは知っておいたほうがよいでしょう。