韓国にとって植民地侵略による最初の犠牲地

竹島問題が発生したのは、日韓の国交正常化交渉が本格化する直前の1952年1月18 日、韓国政府が公海上に「李承晩ライン」(韓国では「平和線」と呼ぶ)を一方的に宣言したことが発端だ。敗戦国である日本が国際社会に復帰する1952年4月28日を前に、その間隙を突いた暴挙だった。

1905年に日本領に編入されていた竹島を、韓国は一方的に設定した李承晩ラインによ って韓国領側に属するとしてしまった。これは、なんら国際法的な正当性がないにもかかわらず、韓国がそれをもって竹島の領有権を主張したことから、日韓間の領土問題が始まったのである。

▲日本と韓国が領有を争う竹島 出典:ウィキメディア・コモンズ

この主張自体が「反正」現象の一つである。植民地統治をした日本に対し、韓国政府が “過去の清算”を求めたために起きたからだ。韓国側の主張では、竹島の日本領への編入は“朝鮮半島への侵略”の端緒であり“独島はその最初の犠牲地”であるとしている。

韓国にとって独島は“日本の植民地統治”の象徴であり、取り返すのは当然、というわけだ。以降、独島は韓国にとって「独立の象徴」であり「民族の聖地」と化したのである。

1953年12月に、韓国政府は「漁業資源保護法」を制定。李承晩ラインを超えて操業する日本漁船を拿捕抑留する法的根拠とするため、一方的に定めたものだ。

その後、韓国政府は竹島を武力によって占拠すると、海洋警察を駐在させ、日韓国交正常化が成る1965年までに日本漁船328隻を拿捕し、3929名の漁船員を抑留して、うち44名が死傷した。その損害額は90億3100万円といわれている。

こうした韓国側の動きに対し、日本政府は1954年9月25日に、竹島問題を国際司法裁判所に付託するよう韓国政府に提案したが、韓国政府は10月28日、次のような覚書を日本政府に送り付けて提案を拒絶した。

  • 独島は太古の時代より韓国の領土であり、今も韓国の領土である
  • 紛争を国際司法裁判所に付託しようとする日本政府の提案は、司法的な仮装による虚偽の主張をするもう一つの企図にすぎない
  • 独島は日本の侵略の犠牲となった最初の領土である

“独島が太古の昔から韓国の領土”であった根拠はない。韓国が挙げている根拠は、ことごとく反論されている。

また“日本の侵略の犠牲となった最初の領土”とはどのような意味かと言えば、1905年の明治政府による竹島領土編入を、1910年の日韓併合に結び付け“独島は半島に先駆けて「侵略」された地である“としたことに基づく。

むろん、竹島の領土編入と日韓併合とは全く無関係なのだが、韓国はこの2つを一連のものと見なす論理を創り上げ、“独島も侵略された地”で韓国の武力占拠は侵略されたものを取り返しただけとして、自らの侵略行為を正当化しようとしたのである。まさに「反正」 的指向の表れと言えるだろう。