50カ国500種類の郷土菓子を歩き集め「旅するパティシエ」と称される鈴木文さん。「現地のお菓子を、現地で、現地の人々と一緒に作る」ことをモットーに、それらの裏側にある物語を学んでいきているそう。
インド周辺を旅した際に、お菓子文化のルーツを感じたと語る鈴木さん。それは、お菓子作りに欠かせなかった「砂糖」の存在と、サトウキビから砂糖を精製した古代北インドが大きく関係してきます。
インドから見えてくる、アジアのお菓子文化は広まりとは、一体何でしょうか。
※本記事は、鈴木文:著『旅するパティシエの世界のおやつ』(ワニ・プラス:刊)より一部抜粋編集したものです。
実はお菓子文化に多大な影響を与えたアジア
広大なユーラシア大陸をつなぐシルクロードが生んだ東西交流で、多様な文化が育まれた東洋の国々
“西洋”に対して“東洋”といわれるように、かつてユーラシア大陸ではシルクロードを通じて東西の交流が行われ、アジアではさまざまな国家や文化圏が形成されました。
しかし大航海時代を転換期として欧州列強が侵略を開始し、多くのアジアの国々で植民地化が進められることに。18世紀以降、その支配はさらに強化されるも、第2次世界大戦直後に各国で独立運動が始まり、1940年代末までの間にほとんどの国が独立。
そして現在のアジアは一般的に、日本をはじめとする東アジア、東南アジア、南アジア、中央アジア、西アジア、北アジアの、6つの地域に大別されています。
砂糖は古代北インドで生まれ、世界のお菓子文化の革新はアジアがもたらした!?
東端は日本の和菓子、西端はイスラム世界のお菓子と、広大なアジアのお菓子文化は、当然ながら一言で語ることはできません。
そんなアジアのお菓子のルーツを求めて歴史を遡るとすれば、それはインドにたどり着くことになります。
お菓子の誕生に欠かすことのできなかったのが、砂糖の存在。その砂糖の原料の一つ、サトウキビの原産地は、ニューギニア周辺の島々だと考えられていますが、それを世界で初めて砂糖に精製したのが、古代北インドだとする説があります。
紀元前4世紀頃、アレキサンダー大王のインド遠征の際の遠征録に、サトウキビ栽培の記述が残されているのだとか。
当時は薬の一種、上流階級の贅沢品として珍重されていた砂糖は、インド発祥とされるヒンドゥー教の「お供え物」にも活用され、現代にみるインドの多様なお菓子文化が育まれることになりました。
砂糖はインドから、アジアをはじめ世界各地に伝播したといわれていますが、その際にきっとお菓子も一緒に伝わり、周辺地域のお菓子文化にも影響を与えていたのではないか……。
特にインド周辺のアジアを旅していると、そんなことを感じる出会いが多々ありました。
そんな歴史も踏まえ、今回はインドを中心に、南アジアはネパールから、東南アジアはタイとミャンマーまで、それぞれのお菓子を紹介します。