消えゆく「メリー・クリスマス」

こうした背景があるので、リベラル色の強い大手メディアや知識人が、トランプの移民政策を「人種差別」と糾弾すればするほど、現実の社会のなかで額に汗して働いている市民たちの反発が鬱積し、2016年の大統領選挙ではトランプの勝利につながる構図がつくられたわけです。

ちなみにトランプは、2016年の選挙戦を通じて、極端なポリティカル・コレクトネスの愚行を非難し「アメリカが再び『メリー・クリスマス』と言える国に」と訴え続けてきました。

そして当選後の12月13日には、ウィスコンシン州での遊説で「18カ月前、私はウィスコンシンの聴衆にこう言った。いつかここに戻って来たときに、我々は再び『メリー・クリスマス』と口にするのだと。……だから、みんな、メリー・クリスマス!」と聴衆に呼びかけ、喝采を浴びています。

そもそもアメリカ合衆国という国は、イングランドで宗教上の迫害を受けてきた人々が、1620年にメイフラワー号に乗ってプリマスに移住してきたのを皮切りに、その後、プロテスタントの各宗派が各地にそれぞれのコミュニティ、すなわちステイツ(states=州)をつくり、それが連合してできあがったという“建国の物語”があります。

そこから、かつては「アメリカは、プロテスタントの白人が自らの信仰を守るために建国した国なので、WASP(=White:白人、 Anglo-Saxon:アングロ・サクソン、 Protestant:プロテスタント)が国家の指導層を独占するのは当然」という考え方が常識とされていました。

もちろん「WASPに非ずんば人に非ず」とばかりに、有色人種・ユダヤ教・イスラム・カトリック・仏教などを迫害するといった行為は、非難されるべきです。

しかし、他人の信仰に口を出すわけでもないのに「メリー・クリスマス」と口にすることさえタブー視される社会というのは、やはり異常といえるでしょう。

▲消えゆく「メリー・クリスマス」 イメージ:PIXTA