用語から差別や偏見をなくすというポリティカル・コレクトネス。1980年代以降のアメリカ社会では「“差別”を是正する」という大義名分のもと、リベラル勢力による激しい“言葉狩り”が横行してきましたが、バイデン政権になったことで再燃する可能性が高いと郵便学者の内藤陽介氏は指摘します。

※本記事は、内藤陽介:著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス:刊)より、一部を抜粋編集したものです。

差別の解消か全体主義への一歩か

2020年12月25日、トランプは大統領として最後のクリスマスメッセージを発し、そのなかでしっかりと“Merry Christmas!”の文言を入れていました。しかしバイデン政権の発足後は、再び“Merry Christmas!”は封印され、ポリコレ派の主張をいれて“Happy Holidays!”との表現が使われることになるのでしょう。

このことを、差別解消に向けての歩みが復活したと評価する人もいるのでしょうが、その一方で、BLMやアンティファなどリベラル過激派が影響力を強める“地獄への一里塚”ととらえる人も多いはずです。

▲アメリカ大統領に就任したジョー・バイデン氏 出典:ウィキメディア・コモンズ

「ポリコレ」という大義名分のもとに、先祖伝来の地域の“誇り”を表現する自由を極限まで削り取られてきた南部の人たちにとっては、もはや宗教くらいしか精神の平衡を保つための手段が残されていません。

現在、アメリカは世界でも最大の新型コロナの重症者を抱え、多数の死者が出ています。当然のことながら、州ごとの状況に応じて感染防止のための規制措置がとられているわけですが、実はそのことが地域の宗教コミュニティに大きな打撃を与えているという点は、もっと注目されてよいと思います。

日本人の感覚では、もっぱら宗教は“個人の内面問題”として理解されますが、もともとアメリカ合衆国は宗教コミュニティの集合体としてスタートした国です。

したがって、アメリカ人としての伝統的な価値観(それを強く維持している人が保守派なわけですが)に従えば、信仰を同じくする者同士が集まり、地域の情報と価値観を共有し、問題があれば話し合うというのは、社会の在り方がどれほど変化しようと、絶対に不可欠なのです。

コロナ禍で進む宗教とポリコレとの戦い

そもそもキリスト教に限らず、イスラム教だって毎週金曜日にはモスクに集まって集団礼拝をしています。他にも、頻度は年に数回かもしれないけれど、それぞれの宗教にはそれぞれ重要な祭礼があり、その準備を含めて信徒たちが集まることで、信仰の絆を再確認していくわけです。

宗教にとっては「人が特定の場所に集まる」という集会ができなければ、教団を維持していくことはほぼ不可能です。今後、ウェブを使って信徒の交流が拡大していくとしても、その地域の信徒が一堂に会する機会がなくてもよい、ということにはなりません。

この傾向は、大都市圏ではそれほどではないかもしれませんが、田舎に行けば行くほど強くなってきます。

そうなってくると、もはやポリコレとの戦いは、社会を維持していく本能として避けられません。アメリカの宗教保守派(「福音派」に代表されるキリスト教の保守勢力)が言うところの、まさに“唯物論と信仰の戦い”に他ならないわけです。

▲アメリカ副大統領に就任したカリマ・ハリス氏 出典:ウィキメディア・コモンズ

トランプは、宗教保守派から見れば、特に信仰心が篤いわけではありません。それでもアメリカの伝統的な価値観と、限りなく唯物論に近づいているポリコレとの戦いをこのまま放置しておくと、最終的には“信仰と唯物論の泥沼の戦い”に行き着いてしまうという危機感を強く持っていました。トランプでなくても、アメリカの保守派の認識はほぼ一致しています。

ですから、選挙後の勝利宣言でバイデンが「国民を分断ではなく、団結させる大統領になることを誓う」と述べたことは、保守派の人々からすると、ポリコレの名のもとに伝統的な価値観を圧殺し、唯物論で全米を覆いつくすことによって、国民の自由を抑圧するリベラル(ないしはポリコレ)全体主義の社会をつくる、という意思表示にしか聞こえないわけです。

さらに、高齢で健康不安もあるバイデンに万一のことがあったときに、大統領に昇格する副大統領のカマラ・ハリスは、2019年には「最もリベラルな上院議員」と評価された人物です。

なぜなら彼女の両親は、“急進的リベラルの牙城”であったUCバークレーの左翼学生として出会い、幼児だった彼女をベビーカーに乗せてデモに参加していたことを誇らしげに語っているくらいで、保守派から見れば眉をひそめるほどの“極左”と認定されているからです。