17歳の冬に訪れた転機

17歳の冬の入り口。タツヤ君の家に、仲間たちとたむろしていた。タバコを吹かしながら馬鹿話で盛り上がっていたとき、ふと俺は時間が止まったような感覚に陥った。

仲間たちは喋り続けているのだが、何も聞こえない口パク状態。ふと差し込むように、もう一人の自分が俺に囁いた。

(こんなことしてていいのか?)

気心の知れた仲間たちとバカやっている毎日は、たしかに居心地はいい。しかし、ずっとこのままではダメなんじゃないか。

「おい、どーした? ボーっとして」

「ん? あ、いや。うん」

とはいえ、辞めてどうする? 何をして生きていけばいいのか? しばらくの間、物思いに耽ることが増えた。やがてひとつの思いに至った。

(役者にでもなるか)

なるかといってなれるものではない。ただ思いついただけだ。『ファイト・クラブ』とか『アメリカン・ヒストリーⅩ』『うなぎ』など、映画がもともと好きで、役者というものにぼんやりと憧れのようなものを抱いていた。

後日。俺は暴走のあとに、カツに言った。

「もう引退するわ」

「え、なんで!?」

「やりたいこと見つけたから」

暴走族はおよそ16歳で免許を取って、2年ほどで辞めるのが通例だ。先代の総長を務めたタツヤ君もそうだった。17歳の終わりが見えてきた俺にとってはタイミングも合っていた。

引退を宣言してから2週間後、引退暴走が催された。俺のために名古屋市内のさまざまなチームから400台近くが集まってくれた。

「名古屋駅の噴水ん所から酒屋のとこ曲がって、真っすぐ行って。国際センター前を通って、真っすぐ行って、東山のバスレーンのほうに進め。いつもの、わかってんな!?」

「はい!」

「気合入れていくから! 夜露死苦!」

総長として、いや総長になる前から“ケツマク”ばかりをやってきたが、引退暴走では先頭とケツを行ったり来たりした。しかし先頭を走っていても、どうしても後ろの様子が心配になった。俺はスピードを落とし、ケツマクに戻った。400台近くが走っているため、本隊と1キロ弱離れた。1台だけでゴロゴロと流していると、やけに感傷的な気分になった。

(もう走ることはねーんだなぁ)

未練ではなく、ただ寂しかった。戻る気はないし、第一これだけのセレモニーを開催してもらって撤回などできるわけがない。今日で本当に終わり。だからこそ寂しくなった。

仲間たちのもとへ合流すると、

「ご苦労さま」
「お疲れさま」

という声とともに花束を渡された。

右手でアクセルを開きながら、左手いっぱいに抱えた。

まるで花束が走っているようだった。

▲特攻する噺家/瀧川鯉斗