「比べる心」を手放す。自分の本心に気づいても、反省したり深追いしたりしない。自分の本心に気づいたら手放す。「気づき」の次にすることは「手放す」「流す」こと。僧侶(高野山真言宗)であり看護師としても現役で勤める玉置妙憂氏が、どうしても自分を他人と比べてしまって苦しくなる人たちのために、執着を流してリセットする方法をお伝えします。

※本記事は、玉置妙憂:著『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。

負の感情は葉っぱに乗せて流してしまおう

私がお勧めするのは「葉っぱの瞑想」です。思考や感情を止められないことがあったら、まずは目を閉じて、自分の目の前に川が流れている景色をイメージしてみてください。

そこに葉っぱが流れてきます。その葉っぱに、自分がぐちぐちと考えていることを乗せて流してください。それだけです。流れてくる葉っぱに「自分はなんてダメな人間なんだ」という気持ちを乗せて流してしまうのです。

流したら、それ以上は考えない。流したのですから、それはもう、どこかに行ってしまったのです。

それでも、しばらくすると「やっぱり私は……」という思考が出てくるかもしれません。そうしたら、また次の葉っぱに乗せて流します。

定期的に流れてくる葉っぱに乗せて、負の感情を次々流していくという作業です。自分自身に対する否定的な思考だけでなく、ほかの物事や人に対して、怒りや悲しみの感情が湧いたときも同じです。すべて葉っぱに乗せて、流してください。

「気づく」→「流す」→「追いかけない」

この練習を意識的に繰り返すうち、負の感情から徐々に解き放たれるようになっていきます。そして、自分という軸がしっかり見えてくるはずです。

▲負の感情は葉っぱに乗せて流してしまおう イメージ:PIXTA

先日、お姑さんのお節介に悩んでいるお母さんにお会いしました。「子どもには、ちゃんと靴下をはかせなきゃだめよ」とか「きちんと字の勉強をさせないと」など、お姑さんはいろいろなことを言ってくるそうです。

お姑さんが孫のためになると思って言っているのはわかるものの、自分の考えと違う部分もあるため、どうしたらいいかわからなくなるといいます。

そんなときは、相手に抵抗するのでもなく、そうかといって、自分の感情を押し殺すのでもなく、やはり葉っぱに乗せて流してしまうのがいちばんです。

「靴下をはかせたほうがいい」と言われたら「そうですか。じゃあ、お義母さん、お願いします」と相手に任せ、お姑さんが帰ったら脱がせればいい。あとは、自分の思うようにしたらいいのです。

どんなときにも、どんな場所にも、自分の考えのほうが絶対に正しいはず、と食らいついてくる人はいます。

どうしたら相手は食らいつかなくなるのだろうとか、どうしたら相手を言い伏せられるのだろうかなど、あの手この手で対策を考えても、そういう人はこちらの想像をはるかに超えて、しつこく食らいついてくるもの。そのことを考えるだけで、こちらのほうが疲れてしまいます。

「私は余計なことを言われたくないのだな」と気づいたら、そこで流す。「あの人はいろいろ口を出したいのだな。さびしいのかもしれない」という気づきも流してしまう。そして、それ以上は深追いしないこと。

深追いせずに“流したら”考えないこと

知人の男性で、お父さまが亡くなったとき、戒名のランクでお姉さまと喧嘩をしたことをずっと悔やんでいる人がいました。

お姉さまは最高ランクの120万円の戒名にしたいとおっしゃったそうです。男性は高すぎると止め、結局あいだをとって80万円のものにしたのですが、父にも姉にも悪いことをしたような、なんともいえないモヤモヤした気持ちが残って消えないといいます。

ちなみに、そもそもなぜ戒名をつけるのか、ご存じでしょうか。

生前、仏教徒でなかった人が地獄へ行ったり六道輪廻を回ったりするとき、少しでも閻魔さまに優遇してもらえるように「仏教徒としての名前」を頂くという意味があるのです。あの世に旅立つというときに、お坊さんの弟子になって戒名をもらって修行しなおすための名前、というのが本来の戒名の意味です。

私は仏教に帰依する者として、仏も人も大事に思うのならば、そういうものにお金をかけるより「かあちゃん、あの世でどうしているかな。心安らかに過ごしているかな」と毎日想ってあげるほうがいいと考えます。仏教用語では、それを「回向」といいます。

生きている人が「あんな人だったなあ」「こういうこともあったよね」と亡くなった人に思いをはせることが、いちばんの供養になるのです。

▲深追いせずに“流したら”考えないこと イメージ:PIXTA

葉っぱの瞑想は、自分のモヤモヤした気持ちの回向とも言えますね。いつまでも消えない後悔や恨みつらみ、妬み嫉みを抱えておくのではなく、葉っぱに乗せて流してしまって、あとはもう考えません。

たまに思い出したら、また流す。それを続けるうちに、また同じような場面に遭遇しても「ああ、そういうことあるよね」と受け止められるようになる。これが葉っぱの瞑想です。