僧侶(高野山真言宗)であり看護師としても現役で勤めつつ、スピリチュアルケアにも従事する玉置妙憂氏が、比べなくていいとわかっているのに、どうしても自分を他人と比べてしまって苦しくなる人たちのために、仏教の教えをもとに“心が楽になる方法”をやさしく解説してくれました。

※本記事は、玉置妙憂:著『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。

まわりからすごいと思われたいという「慢」

「仏教で説く煩悩(ぼんのう)の一つ。サンスクリット語マーナmānaの訳。自分を高くみて他を軽視する、自己中心的な思い上がりの心。」――コトバンクにある「慢(まん)」の解説です。

どうしても自分と人を比べてしまう。「慢」の煩悩は誰でも持つものであって、それ自体は仕方のないことです。仏教では、煩悩を持つこと自体をいましめているわけではありません。大事なことは、その煩悩に「どう対処するか」。それを教えてくれるのが、お釈迦さまの教えというわけです。

「慢」を止めることはできなくても、慢からうまく逃れることはできます。ここでお伝えしたいのは、その方法です。

仏教では、毎日の修行を通して「慢」からの逃れ方を学びますが、普通に生活しながらでも、比べてしまう自分を見つめなおす方法や、自分の感情の処理の仕方を知ることで、しんどい自分から一歩抜け出すことはできるのです。そのための最初のステップは「気づくこと」

自分の判断基準や自分の本心はどこにあるのかを知ることです。それに気がつくことが「慢」をいましめることにつながります。

もともと、私は僧侶でも看護師でもありませんでした。大学を出たあと、法律事務所に勤めていたのです。

でも、出産後に長男が重度のアレルギーに苦しんでいる姿を見て「息子専属の看護師になろう」と決意し、仕事を辞めて看護師の免許を取得しました。長男の症状が落ち着いてからは看護師として病院で働くようになりました。

そのため、病院の看護師になったときには、すでに30代。看護学校にいるときから、現場に出たら、年下の人が私の上役になることを心配する人もいましたが、私は「大丈夫ですよ。そういうことは全然、気になりませんから」なんて、のんきに答えていたのです。

でも現場に出てみると、やはり‥‥‥。

医療の現場は厳しいところです。ちょっとでもモタモタしていると「どいて、邪魔だから」とか「できないならひっこんでいて」と言われることもありました。もう35歳になろうとしている私が、ハタチすぎの人に「こんなこともできないの」と言われたこともあります。

経験年数が違うのですから当然ですが、自分より10歳も年下の人が主任になっていることに焦りを感じることもありました。病院に入るときには自分なりのペースで成長すればいいと考えていたのに、現場で周囲の人と関わるうちに、私の中にも人に勝ちたいという欲が出てきたのです。

でも、人よりも遅く始めた私が経験年数を上げるのは無理なこと。そこで私が選んだのは、大学院に通うことでした。大学院に行って、学歴でマウントをとろうと考えたのです。

まわりからは「博士号をとるなんてすごいね。勉強を続けてえらいね」とよく言われましたが、今ならわかります。頑張ったことには変わりませんが、その動機は「まわりからすごいと思われたい」という慢でした。

実際には学びを深めて人の役に立ちたかったわけではなく、学歴を上げることで自分の経験年数を埋め、すごいと言われたかったのです。

▲まわりからすごいと思われたいという「慢」 イメージ:PIXTA

自分の心の奥底にある本心に気づくことが大切

仏教には「小欲(しょうよく)」「大欲(たいよく)」という言葉があります。

「小欲」とは我欲、つまり自分の欲求だけが満たされればいい、自分だけが幸せになればいいという欲です。おいしいものを食べたい。楽しいことをしたい。自分をかっこうよく見せたい。そういうふうに、自分の欲望だけをかなえたいと考えることが「小欲」。

一方の「大欲」とは、世間や他人の欲求を満たし、誰もが幸せになることを目的とすること。社会のために大きな病院をつくりたい。皆が食糧に困らないようにしたい。そのためにお金を稼ぎたいとか、勉強したいという欲が「大欲」です。

仏教では「小欲」は認めていませんが「大欲」は認めています。人間にとって欲はなくせませんし、極論を言えば、そもそも欲がなければ人間は死んでしまいます。欲があるのが悪いわけではなくて、その使い方が問題だというわけです。

私が大学院に行った動機は「小欲」でした。自分が大学院で学ぶことでまわりの人のためになると考えていましたが、実は、そこには自分と人を比べて優位に立ちたいという欲があったのです。それ自体がいいとか悪いとかいうことではなく、自分の心の奥底にある本心に気づくことが大切なのです。

それに気づかなければ、単に「自分は頑張った」で終わり「自分はいかに苦労して勉強してきたか」を自慢するだけの人になってしまいます。おのずと、頑張っていないと思う人を見下す気持ちも出てくることでしょう。

でも、自分の心底に「まわりからすごいと思われたい」という本心があったのだと気づくことができれば、自分を客観的に見つめなおすことができます。私は、まわりの人に役に立つ人だと思われたいのだな。それなら、いま、私は何をしたらいいのかな、と。

そこで「自分がいかにすごいかではなく、学んできたことをかみくだいて現場に伝えることが大事なんだ」と気づけば、本当にまわりの人の役に立つ人になっていくのではないでしょうか。

▲自分の心の奥底にある本心に気づくことが大切 イメージ:PIXTA