「かわいい」と感じたっていい

そんな彼女の作品は、過去に何度か読んだことがあるのですが、難解でもあるので、恥ずかしながら何度も挫折しているのです。「意味わかんねー」みたいな感じで。でも、フレーズの断片をやり取りするシーンを見て「なるほど、“意味”がどうこうではないのだな」と改めて思ったんですよね。

そこで、ちくま文庫から1999年に出た『ヴァージニア・ウルフ短篇集』を何年ぶりかで書棚から引っぱり出し、少しずつ読んだりしていたのです。するとそんな矢先に『かわいいウルフ』(小澤みゆき編、亜紀書房)という本が出たのでした。

いうまでもなく、衝撃的だったのは“難解”という印象が先に立っていたウルフのことを、“かわいい”ということばで表現していること。

ぶっちゃけ、ウルフをかわいいと思ったことなんかなかったのです。でも考えてみると、“かわいい”と感じ、それを文章化することだって充分に“アリ”なんですよね。

僕がどう感じようが、編者にとってかわいいのであれば、それは絶対的な価値観であるのだから。しかもここでいう“かわいい”には、どういうわけか「そうかもしれないな」と思わせる力が備わってもいるし。

なんだか、ガツンと頭を殴られたような気分でした。なぜって、自分が「ウルフは難しい」という固定観念に縛られていたことを自覚せざるを得なかったから。

もっといえば、20歳くらいのころの自分は、難解の極みとしかいえないアンリ・ミショーなどの詩に傾倒していたくせに、いまさらウルフを難解扱いするのは矛盾以外のなにものでもないなと感じたりもしたのです。

編者もまた、次のように主張しています。

本書ではモダニスト、フェミニストやレズビアンといった大きな枠組みからのみ彼女を取り上げることを目的としていません。もちろんそれらは避けては通れないテーマではありますが、あくまで主題とするのは、個人が抱くきわめて主観的なウルフのイメージです。(「ごあいさつ」より)

彼女が残したことばを“かわいい”という切り口から捉えなおし、あえて主観的にその世界と向き合ったということ。

角度こそ違えど、それは『最高に素晴らしいこと』に出てくる高校生カップルが、オンライン上でウルフ作品の断片をやり取りしあって気持ちを伝え合うことと、どこか共通点があるようにも感じます。

「かわいい」と感じたっていい。

彼女に(彼に)思いを伝えるために、ことばの断片を使ったっていい。

そんな感じ。

僕の個人的な感じ方ですが、だからこそ編者に共感できるのかもしれません。そこで今回は、きわめてシンプルな、しかし本質以外のなにものでもない一文を「人生を変える一文。」としたいと思います。

「ヴァージニア・ウルフは、かわいい」。(「ごあいさつ」より)

もう、これ以上に研ぎ澄まされた表現はありません。これに尽きる。こうやって改めて抜き出してみると、やはり卓越した表現だなあと感じずにはいられないというか。恐れ入りました。

ところで、この連載は今回でおしまいです。じつは最初から、“全12回”と決まっていたのです。12回も続ければ愛着も湧きますから残念ではあるのですから、でも仕方がありませんね。

というわけで、長い間(短い間、かな?)お世話になりました。またいつか、お目にかかれればと思っております。駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。