読むのに1分もかからないシンプルな「一文」が人生を変えてくれるかも。何かに悩んでいるときに、答えに導いてくれるのは「本」かもしれない。日本一書評を書いている印南敦史さんだからこそ見つけられた、奇跡のような一文を紹介します。

人生を変える一文 -『自分だけの経験を主軸とし、“聴いてみたくなる”文章を書く』

▲音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話/印南敦史: 著(自由国民社:刊)
書評執筆本数日本一を獲得。作家、書評家として大活躍する印南敦史氏の音楽ライターとしての一面を堪能できるエッセイ。情報やデータだけのいわゆる「ガイドブック」ではなく、自身の記憶と経験を軸として書かれているため、読めば誰しも“あのころ”の想い出がよみがえる。ポップ・ミュージックを中心に30選。表紙イラストレーションは江口寿史氏。ハイレゾ音源サイト「e-onkyo music」での人気連載の書籍化。

僕が音楽ライターになった理由

20代後半から数年間は、蟻のように小さな広告代理店で求人広告のコピーを書いていました。やがて二足の草鞋を履き、ライターとして個人名で文章を書きはじめたのが32歳のとき。

そう考えると、書くことを仕事にしてから30年くらい経っていることになります。

早いですなぁ。

現在の仕事の中心は書評で、並行して自分の本を書いたりもしています。ただ、個人としての仕事のスタートラインは音楽ライターだったんですよね。

会社員をしながらも、だんだん「“自分”としてのなにかをしたい」という思いが強くなっていき、それが「好きな音楽について書きたい」という願望につながっていったのです。

とはいえ、どうやったら音楽ライターになれるのか、そんなことはまったく想像もつきません。そこで知り合いの編集者に尋ねてみたところ「持ち込みだよ」との答え。

なるほど、だったら話は早いと感じました。レコードを買うたび、勝手に書いていた原稿がその時点でたくさんあったからです。だから、それを送ればいいだけ。

そこで音楽雑誌を中心とした8媒体(=当時は音楽雑誌がたくさんあったんです)に原稿を送ってみたのでした。その結果、いちばん書きたいけどいちばん無理だろうなと思っていた「ミュージック・マガジン」で書けることになり、以後、複数の雑誌で書くことになっていったのです。

始めてみたら、持ち込みをする人なんかいなかったんですけどね。

だから30代の大半は、音楽ライターとして活動していたのですが、思うところあって一般誌に活動の場を移していき、そうこうするうちに音楽雑誌は次々と休刊になり……細かいことは省きますが、10年くらい前から書評がメインの仕事になっていったという流れ。

とはいえ音楽ライターをやめたわけではなく、できる範囲で続けてはいるのです。そのひとつが、e-onkyo musicというハイレゾ音源サイトでの「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」という連載。

タイトルからもわかるように、自分の尺度で選んだ“名盤”を紹介するエッセイです。しかも主軸になっているのは、自分の人生経験です。

音楽についての文章って、アーティストについての経歴など“情報”や“データ”に主体を置いたものが多いじゃないですか。

幼少時にどんな音楽環境に育ったかとか、誰から影響を受けたかとか、そのニュー・アルバムのプロデューサーは誰かとか。

でも、そういうことにはほとんど触れず「僕自身がその音楽と出会ってどう感じたか」「その音楽が流れているとき、どんなことがあったか」など、あくまで自分の個人的な体験に軸を置いているのです。