読むのに1分もかからないシンプルな「一文」が人生を変えてくれるかも。何かに悩んでいるときに、答えに導いてくれるのは「本」かもしれない。日本一書評を書いている印南敦史さんだからこそ見つけられた、奇跡のような一文を紹介します。

人生を変える一文 -ボクサーになるつもりのない人に、ボクシングのトレーニングを提供するのと似ている。

▲ふだん使いの言語学/川添愛(新潮社:刊)
会話がかみ合わない、うまく伝わらない、など、“言葉のすれ違い”が起こる理由は何なのか。「君のことも大事にするから」「今から来れる?」「ちょっと難しいですね」など――、日常会話でおきがちなことばドラブルを例題として挙げながら、気鋭の言語学者がその解決策を講ずる。「言ったでしょ!」「言ってないよ!」など、“なんとなくの会話”で日々痛い目を見ている人はとくに必読の1冊。

このことばの使い方に悩む日々

母は自我が強く、とくに「ことば」には敏感でした。たとえばテレビを見ていても「あの人のことばの使い方は間違っている。正しくは○○だ」というようなことをしばしば主張したし、僕の発言に対して「その言い方は正しくない」というようなツッコミを日常的に入れてきたわけです。

子どもにとってみれば面倒な話なので、思春期にはぶつかることも多かったのですけれど(ありがち)、そんな環境に育ったからこそ、ことばへの興味や執着心が養われたのも事実。

ですから、そういう意味では感謝すべきなのでしょうね。

とはいえ自信は全然なくて、ことばに執着するということは「果たして自分の、このことばの使い方は正しいのだろうか?」という不安と共存することでもあると思っているくらいです。

つまり、来る日も来る日も「このことばの使い方は正しいのだろうか?」「こういうとき、このことばを使うのは適切なのだろうか?」などと考えてばかりいるのです。

だから「われながら面倒な人間だなぁ」と感じることも少なくないのですけれど、それだけことばが好きなのだから仕方がありませんわな。

ちなみに話はそれますが、僕は文章を書くとき「言葉」ではなく、あえて「ことば」と平仮名表記にしたいと考えている人間です。

たいした理由はないのですが「ことば」と書くと、なんとなくやさしい感じがしませんか? そこが気に入っているのです。

つまりはそんな小さなことも含め、ことばに対する愛情や好奇心は衰えないわけです。

ただ、偉そうなことを書いてはいますけれど、これまで生きてきたなかで得た知識をよりどころにしているにすぎず、だからこそ「もっと知りたい」という気持ちがとても強いのです。