「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ名投手・江夏豊氏が、現役時代に対戦した伝説的打者を独自の目線で大分析。2215試合連続出場の記録を持ち「鉄人」の愛称で親しまれた衣笠祥雄氏。広島時代の同僚でもあった江夏は、いわゆる「江夏の21球」の際に、マウンドに駆け寄ってきた衣笠の言葉が忘れられないという。

※本記事は、江夏豊:著『強打者』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

阪神時代に最後の完投勝利を挙げた広島戦

「何をやらしても、コイツはなんて不器用なんだろう」 

三塁守備、2番打者でのバント、フルスイングしたらバットとボールがこんなに離れている......。私が1978年に広島でサチ(衣笠祥雄)とチームメイトになって感じた第一印象だ。

ただ一つ言えたのは「野球をこよなく愛している」ことだ。 

人一倍練習して試合に出て、試合で失敗しても、決して強くない酒を飲んで気分転換し、翌日また野球に臨む。その姿勢が素晴らしかった。野球が好きでなければ、あんな連続出場なんて、できるはずがない。

私の投球の話を、少しする。「駆け引き」には間(ま)が大切だ。

「投球フォームの間」 ――投球フォームを微妙に変えて、同じストレートでもスピードを変える。

「投球間隔の間」――捕手から返球があって次の投球までの間。いろんな間があるわけだ。相手打者は必ず投手の目を見てくる――目が合ったら、そらす。牽制球を入れる。長く球を保持してみる。それらが「駆け引き」だ。

私は「走者満塁、カウント3ボール2ストライク」の状況で、意識的にボール球を投げて三振に討ち取ったことが生涯2度だけある。1度はサチに対して、もう1度は田淵幸一さん(西武)に対してだ。胸元にボール球を投じられたサチのバットは空を切った。

「駆け引き」だ。必ず振ってくるとの確信があった。結果的に私の「阪神最後の(完投) 勝利」となった。

マウンドで動揺するのを察し衣笠がかけてくれた言葉

阪神からパ・リーグ南海に渡った2年間で、私は救援投手に転身した。今度はセ・リーグ広島に移籍した1978年、いきなりサチ(衣笠)からこんな嫌味を言われた。

「エエなぁ、ピッチャーは。1試合投げたら休めるから」 

サチは連続試合出場を続けていた。それから「毎試合でも投げてやる」と意地で全試合ベンチ入りした。「連投が続いて、今日は投げられない」と古葉竹識監督に伝えておいても、容赦なく「ピッチャー・江夏」の場内アナウンスが流れる。ベンチ入りするということは、他の投手の登板機会の可能性を奪うことでもあるのだ。

1979年、サチの連続フルイニング出場が途切れた。「プロ野球選手だから打撃不振であれば交代するのは仕方ない」と記者会見で淡々と語ったが、連続試合出場にこだわるゆえ、サチはロッカーで大荒れし、手当たり次第に物を投げて大変だった。

そんなサチのあの言葉は胸に刺さった。 年日本シリーズ3勝3敗で迎えた第7戦、9回裏4対3と広島リード。俗に言う『江夏の21球』だ。

無死満塁。打者・佐々木恭介君。池谷公二郎君と北別府学君がプルペンに向かったのが私の目に入った。

(この期に及んで、リリーフを準備するのか!? オレと心中じゃないのか)

 私の胸中を察したサチが、一塁からマウンドに駆け寄ってきた。

「豊、気持ちはわかる。でもな、オマエが投げなきゃ始まらない。ここはピッチングに集中しろ。オマエに何かあったら、オレも一緒にユニフォームを脱ぐから」

 (連続試合出場にこだわるサチが、オレのために辞めてくれると言うのか)  

あのひとことで私は冷静さを取り戻し、佐々木三振、石渡茂スクイズ失敗、石渡三振。 広島初の日本一。『江夏の21球』が完成したのだ。