第二次世界大戦末期、深刻な食糧難とともに国内での農業生産再開と生産力向上が大きな課題となり、施行されたのが土地改良法。その頃とは経済状況は変わっていますが、今現在も土地改良には大きな予算がついています。日本の農業を活性化させていくためには、土地改良以外にも方法がある。

それには、農地を取得できる法人の制限を外す「国家戦略特区」を有効活用すればいいと、国際政治アナリストで世界経済にも詳しい渡瀬裕哉氏は提案します。「本当に守るのであれば闘って勝っていかなければいけない」日本の農業のゆくべき道はここにある。

※本記事は、渡瀬裕哉:著『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ-令和の大減税と規制緩和-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

占領統治中に施行された土地改良法

第二次世界大戦末期、日本各地が空襲で焼け、敗戦後は海外領を失ったこともあって、深刻な食糧難とともに国内での農業生産再開と生産力向上が大きな課題となりました。

連合国による占領統治下では、地主層が所有していた土地も含めて、政府が耕作地を一旦取り上げ、それまで土地を所有していなかった小作農家にも分配して、農業生産を振興していきます。

▲占領統治中に施行された土地改良法 イメージ:PIXTA

占領統治中の昭和24年(1949)には土地改良法が施行され、農業の生産性向上が図られます。土地改良法で定められている土地改良事業には、農業用排水や農道などの農業を営むための施設を作ったり、農業用地の区画整理、埋め立てや干拓、災害復旧、利水を含む権利関係の調整まで、農業に関するさまざまな事柄が挙げられています。戦前にあった耕地整理法に代わり、戦後の農地整備が進められてきた根拠となっている法律です。

この法律が制定された戦後間もない時期から、現在では経済状況も大きく変わっているのですが、現在でもこうした土地改良には予算が付き続けています。予算規模は、本予算と補正予算を合わせて、およそ6,000億円です。

民主党政権のときには、この予算は時代に合わないだろうということで、2,000億円程度まで一気に予算を減らしましたが、自民党政権に戻ると徐々に予算が戻っていきました。予算額6,000億円は、外務省予算に迫る規模です。

戦争と戦時下の政策によって、滅茶苦茶になったところから再建しなくてはいけなかった時代の仕組みのまま、現在でもこれだけの巨額の予算を使い、果たして本当に土地改良を続けることが、日本の農業生産力の向上につながっていくのでしょうか。

土地の少ない日本は、広い国土を持つ大陸国と違って農業があまり強くないので、農業を支えなければいけないのだと思う人も多いでしょう。日本の農業が弱いか強いかは、統計の取り方によって変わります。輸出力は意外と強いのです。農業のどの部分に着目するかによって、今後の農業の発展の考え方も変わります。

農業の生産力を高めようという動きは、現在もあります。今の農家は、農家全体の戸数の中で兼業農家が多数を占めています。しかも、兼業農家の中でも所得が主に農業による農家より、農業以外の所得が主な農家のほうが割合も多くなっています。

そこで、実際に農業生産力を高めることを考えた場合、農業を専門に行っている農家を重視していくことになります。資本をたくさん集め、土地改良も含めて自分でどんどん農地を整備するとか、新しい技術を導入して生産性を高めるといったことを事業として行う人が必要になってくるのです。

国家戦略特区によって活性化された兵庫県の養父市

▲兵庫県の養父駅前 出典:iti sakaki / PIXTA

第二次安倍晋三内閣で始まった国家戦略特区の枠組みを活用して、これを試みたのが兵庫県北西部にある養父(やぶ)市です。

農地法は「農地所有適格法人」という規定で細かな条件を定め、農地を取得できる法人を制限しています。養父市は国家戦略特区として、農地法の規定に対する特例措置により、その制限を外す規制緩和を行いました。

行政による規制ではなく、事業に参入する企業との契約という形で農業政策を調整しながら、より収益の高い事業化を目指す方法です。

平成26年(2014)に特区指定を受けた養父市は、農業分野だけでなく多くの分野で規制緩和を行い、多くの民間企業が地域の経済や雇用の問題に取り組んでいます。

これによって地域の農業の担い手が高齢化や人口減少によって減少し、耕作放棄地や空き家が増えるという全国各地の過疎地に共通する問題の軽減効果も上げながら、民間企業の活動によって生産から製品化、小売までを行う地域農業の第6次産業化が促進される成果を上げています。

国家戦略特区は、規制改革の効果や影響を限定された地域で実験してみる、という意味もあります。うまくいけば、全国に広げようという仕組みである“はず”でした。