2021年に行われた東京五輪で男子柔道100キロ級にパキスタン代表として出場したシャーフセイン・シャー選手。彼の経歴は少し特殊だ。イギリスで⽣まれ、2歳のときに来日。そこからは日本で過ごし現在に至る。父のフセイン・シャーさんは、ソウル五輪でパキスタン人初のメダル(銅)を獲得して『パキスタンの英雄』と称される国民的大スター。偉大なる父の背中を追いかけるシャーフセイン・シャーの素顔に迫る。

不完全燃焼に終わった東京五輪

――東京五輪が終わって少し時間が経ちましたが、振り返ってみてどんな大会でしたか?

シャーフセイン・シャー(以下、シャー):東京五輪は、2歳から暮らしている日本で開催されるということで、大きな目標にしていた大会でした。スポーツ選手にとっての夢舞台ですし、五輪で勝つ、メダルを獲る、というのを最大の目標に掲げるアスリートの方もいると思います。

僕ももちろん、メダルを獲る! という気持ちで大会に挑みましたが、残念な結果(1回戦敗退)に終わってしまいました。

――五輪初出場は2016年のリオ五輪でしたが、リオと東京で何か変えたことなどはありますか?

シャー:すべてを変えました。リオ五輪のときはトレーニング、食事、睡眠……すべての面においてアマチュアでした。大学という環境に守られていたなかでの出場だったんですね。

そういった反省をいかして東京五輪に挑むために「食事はどういったものを食べたら良いのか」「メンタルの弱さをどう克服するのか」など、いろいろなことを勉強して実践しました。

完全にひとりで全てをやらなければいけなかった。でも、だからこそ工夫をして、常に今の自分に何が足りないかを考えながら日々を過ごしました。東京五輪は、プロアスリートのシャーフセイン・シャーとして大会に挑むことができました。

――大会後、ご自身のSNSで「いろいろな感情とともに選手村を去った」と書かれていました。具体的にはどういった感情が渦巻いていたのでしょうか?

シャー:今回の東京五輪は、スポンサーさんやそのほか多くの方々の支えで出場することができた大会でした。ものすごく強い気持ちを持って臨みました。

いまさら言っても仕方がないことですが、少しだけ納得のいかない判定もあり、不完全燃焼に終わってしまいました。自分の実力を出し切れないまま終わってしまったのが、本当に悔しかった。もっと何かできたことはあるんじゃないか……。そういう心の葛藤があって、あの投稿をしました。完全に燃え尽きて終わりたかったんです

▲東京五輪で着用した柔道着で取材に応じてくれた

――同じくSNSで、今後のことについて「ゆっくりとして少しずつ考える」とおっしゃられていました。なにか今後について見えてきたことはありますか?

シャー:五輪が終わってからゆっくり休んで、ごはんを食べて、遊んで。そんな生活をしていたら17キロ太って(笑)。

そんななかで今後の方向性が見えてきました。まず、スポーツ面でいうと階級をひとつ下げて90キロ級に挑戦しようと思っています。階級を落としたほうがフットワークなど、自分の持ち味が活きるのかなって。このあと2つ試合が控えているので、そこで良い結果を出せたらパリ五輪を目指そうかなと考えています。

日本では僕と同じくらいの身長、体重の人と練習できる機会がほとんどないんです。でも、試合では自分と同じ体格かそれ以上の選手と戦います。そこにすごくギャップがあって。でも、90キロ級なら日本でも実戦を想定した練習ができるのかなと思っています。

あとは、ビジネスを本格的に学ぼうと考えています。具体的なことはこれから決めていきますが、僕はパキスタンと日本どちらの文化も知っていて、どちらの言語も話せる。そんな自分だからこそできることがあるはず。

パキスタンと日本の懸け橋になりたいと、ずっと思っているんです。そのためにスポーツだけでなく、ビジネスのことも勉強していきたいです。