便利すぎる世の中での存在意義

先程、お仕事の予定が終わり、
さっきまで居たスタジオの近くの
芝生の見える広場のテラスで
原稿を書いています。

東京は本当に
何でも揃ってますよね。

ここはちょうど、
直射日光が当たらなくて
本当に眺めが良いなぁ。

今居る緑が多い場所も、
風情を感じられる街も、
美術館、ショッピングモールまで、
少し歩いたり、電車に乗ったりするだけで
すぐにたどり着くことが出来るし、
食べたいものも大抵手に入る。

それは本当に凄いことだなと
素直に思います。

とは言いつつも、
いつ何時も、欲しいものたちが
あまりにも早く手に入りすぎると、
感覚が鈍って、
幸せを感じにくくなる。というのは、
よく聞く話。

お金などの場合、人によっては、
人生が大きく狂ってしまうこともあるし。

手に入ってしまったら。
そこにあったら。
多少は、当たり前な感じに
なってしまう。

そして、それがデフォルトでないと
いけなくなる。

きっとそれは、
そういう脳の仕組みにしていないと、
都度感動しているようだと
負担が大きいから、
わざとそういう作りに
なっているのかも知れません。

だから、日々自分がどんなものに恵まれ、
囲まれて生きているのか、
考える時間を取るようにしています。