どのスポーツよりも僕を惹きつけた車いすバスケ
ここで僕が車いすバスケと出会った頃の話を少ししようと思う。
僕がバスケと出会ったのは中学1年生の6月。ソフトテニス部に所属していた僕を、車いすバスケの審判をしていた女子バスケ部のコーチが、近隣の車いすバスケチームでプレーしないかと誘ってくれたのだ。
僕の父はバスケットボール経験者で、当時の兄も現役バスケ部員。ついでに母もバスケ部のマネージャーをやっていたという。
鳥海家は、バリバリ「バスケ一家」。
小さい頃から、父と兄と公園でバスケをやっていたし、食卓の話題は大半が、兄のバスケについてだった。
「車いすバスケ」の存在を知ったのはそのときが初めてだったが、そんな環境で育ってきた僕は興味を持ち、自宅から車で45分ほどの場所にある、「佐世保車いすバスケットボールクラブ(佐世保WBC)」が練習している体育館を訪れた。
体育館でプレーしていたのは、僕よりも10も20も年の離れた大人たち。タイヤの焦げる匂いや、バスケ車のぶつかり合う音に面食らいながらも、わくわくした。
練習の合間に、競技用の車いすにも座らせてもらった。通常の車いすと異なり、競技用車いすは操作性と怪我防止のふたつの意味で、タイヤがハの字にくっついている。思い切って強く漕ぎ出してみたら、普通の車いすとは比べ物にならないほどスピードが出たうえに、真っすぐ漕いだはずが勢いよくターンして、ひっくり返りそうになった。
もう一回、さらにもう一回とチャレンジしてみたが、結局真っすぐ進むことはできなかった。
そして僕は、帰り道の車中で「車いすバスケをやりたい」と母に伝えた。
これまでにも、たくさんのスポーツをやってきた。春から始めたソフトテニスも楽しく打ち込んでいたが、このときわずかな時間触れた車いすバスケは、今までやってきたどのスポーツよりも僕を惹きつけた。
それは、このスポーツなら「競技者になれる」という確信だった。
今まで僕がやってきたのは「競技」ではなく「遊び」としてのスポーツ。どれも楽しかったけれど、うまくできないことは「これは僕の戦う場所じゃない」と思い、練習してでも上達したいと思うことはなかった。
でも、車いすバスケは違った。全然できないけれど楽しい。できないことが楽しい。できるようになりたい。初めてそう思ったのだ。
佐世保WBCは徹底的な基礎練習に力を注ぎ、4時間程度の練習時間の9割が基礎練というチームだった。
練習メニューはひたすら地味で、なおかつキツい。チームに入った当初は、タイヤの摩擦で手の皮がベロベロに剥(む)け、その日のうちに腕が上がらなくなった。
車いすの操作も、パスも、シュートも、簡単にできるようになったものはひとつもなかった。走り込みで大きく置いていかれるたび、悔しさが募り「なんでみんなシュートがうまいのに僕はできないんだ」と、行き場のない苛立ちを常に抱えていた。
でも、やる気をなくしたり、練習の手を抜いたりはしなかった。
うまくなるために越えなければいけない、わかりやすい壁の数々。それをどうやって攻略しようかと考える日々はとても充実していた。
もしあなたが、うまくいかなくても「楽しい」と感じるものがあったとしたら。もしくは「なんでうまくいかないのにこだわってるんだろう」と思えるようなものがあったとしたら。
それはあなたにとって、かけがえのない存在になり得るかもしれない。