欧米諸国では、国際政治学や外交史の一分野として、スパイおよび工作員による秘密工作について論じる学問が成立しています。この学問を「インテリジェンス・ヒストリー」と言います。評論家・情報史学研究家の江崎道朗氏によると、ルーズヴェルト民主党政権の中にソ連のスパイが入り込んで、アメリカの外交を歪めているのではないかという問題意識を、当時の日本政府、正確に言えば外務省と内務省は持っていたようです。

日米の対立を煽り敗戦革命を引き起こせ

ルーズヴェルト民主党政権にスパイを送り込んだソ連は、何を考えていたのでしょうか。その目的はなんだったのでしょうか。

ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化(世界中で共産主義革命を引き起こすこと)を目指して、世界各地に共産主義の秘密工作を仕掛けるための世界的な組織としてコミンテルンを創設しました。コミンテルンは、共産主義インターナショナルとも呼ばれ、組織としては1943年に解散しました。

▲ウラジーミル・レーニン 出典:ウィキメディア・コモンズ

では、どうやって世界各国に共産主義の国をつくるのか。レーニンのすごいところは、世界各国に共産党をつくり、共産主義というイデオロギーを広めるだけでは、世界の共産化はできないことを理解していたことです。

共産主義というイデオロギーを一般大衆に広めることは重要だが、それ以上に重要なことは、資本主義国家同士の反目を煽って戦争を引き起こし、一方の国を敗戦に追い込み、その混乱に乗じて一気に権力を奪うことだという戦略を打ち出したのです。これを「敗戦革命論」と言います。

そして、この敗戦革命の工作対象となったのが、日本であり、アメリカであり、中国でした。日米両国の対立を煽って日米戦争へと誘導し、日本を敗戦に追い込み、共産革命を引き起こす戦略をとっていたのです。

そこで1919年、コミンテルン・アメリカ支部として「米国共産党」を設立します。

▲1919年5月1日、赤の広場で演説を行うレーニン 出典:ウィキメディア・コモンズ

その翌年の1920年12月6日、レーニンは「ロシア共産党モスクワ組織の活動分子の会合での演説」の中でこう述べています。

共産主義政策の実践的課題は、この敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである。そこに新しい情勢が生まれる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら両者はたたかおうとのぞんでおり、世界制覇をめざして、略奪する権利をめざして、たたかうであろう。……われわれ共産主義者は、他方の国に対抗して一方の国を利用しなければならない。[マルクス=レーニン主義研究会訳『レーニン全集 第31巻』大月書店/1959年]

つまり、日米両国が戦争をして潰し合うよう仕向けるために、アメリカにおいて反日感情を煽り、日本においては反米感情を煽る。そうやって日米両国が互いを非難しあい、憎み合えば、いずれ戦争になって日本は敗戦に追い込まれ、政府は打倒され、革命を起こすことが可能になる、と考えたわけです。

だから、今なお日本共産党は、共産主義の話はほとんど話さず、反米や政府批判だけ言うわけです。実にわかりやすい構図です。

こうしたソ連・コミンテルンの世界戦略の中で、アメリカに米国共産党が設立されたわけです。ただ、設立当初、米国共産党のメンバーたちは、レーニンの戦略をよく理解できておらず、アメリカの国民を相手に共産主義の話や、「労働者よ、団結せよ」といった革命の話をし続けたものだから、アメリカではほとんど相手にされませんでした。

ところが、1929年に世界恐慌が起こり、アメリカでも失業者があふれ、資本主義経済ではもうダメではないのか、新しい経済理論である共産主義の方がいいかもしれないという空気が生まれ、当時のエリート層が米国共産党に入ってくるようになったのです。

しかも1931年に満洲事変が起こり、日本が本格的に満洲に進出するようになりました。地図を見れば一目でわかりますが、満洲のすぐ隣は、ソ連です。ソ連は恐怖を感じました。僅か20数年前の日露戦争において、日本軍の優秀さは“いや”というほど知っていたからです。

そこでソ連は、コミンテルンを通じて、日本がソ連に攻めてこないよう、世界各国の共産党に指示を出します。具体的には、日本がソ連に攻めてこないようにするため、中国大陸で日本が戦争をせざるを得ないように仕掛けたのです。

つまり、中国の蔣介石政権や毛沢東率いる中国共産党に対して経済援助を実施し、彼らが日本軍と戦うよう仕向けたわけです。日本軍が中国で戦争をしていれば、ソ連まで攻める余裕はなくなりますから。

▲1945年、祝杯をあげる毛沢東(左)と蔣介石(右) 出典:ウィキメディア・コモンズ

同時に、戦争というのは、莫大な資金と燃料、物資が必要です。そこで欧米の共産党に対して、欧米諸国が対日経済制裁を実施するよう指示したわけです。燃料と軍事物資を欧米から輸入できなくなれば、日本軍の活動は鈍化せざるを得ません。

このコミンテルンの指示に基づいて米国共産党は、日本の侵略に抵抗する中国人民の戦いを支援する世論を形成して、アメリカの力で日本を押さえつけるべく、「アメリカ中国人民友の会」という国民運動組織をつくります。会長は、アメリカの有名な雑誌『ネイション』編集者のマックスウェル・スチュアートでしたが、彼はヴェノナ文書によってソ連のスパイであることが判明しています。

ここで大事なことは、ソ連は自ら日本に対峙しようとするのではなく、アメリカや中国を使って日本を押さえつけようとした、ということです。ソ連は軍事力を強化して正面から日本を打ち破るよりも、秘密工作によって外国を唆し、外国の力で日本を押さえつけようとしたわけです。