インテリジェンスには3つの意味がある

「ソ連のスパイとか工作員の暗躍はあったかもしれないが、それは謀略論ではないのか」という疑問を持つ方も多いと思います。

工作員やスパイ、秘密工作などというとスパイ映画をイメージする人もいるかもしれません。つまり、それらは絵空事である、ということです。なぜなら一般的な学校で使われる歴史教科書には、そういったことが何も書かれていないからです。

確かに日本では、工作員やスパイ、あるいは秘密工作というものが、まともな学問あるいは研究の対象として扱われない傾向にあります。しかし欧米諸国では、国際政治学、外交史の一分野として、スパイおよび工作員による秘密工作について論じる学問が成立しています。

この学問を「インテリジェンス・ヒストリー」と言います。日本語に訳せば「情報史学」です。

インテリジェンス・ヒストリーという学問は1980年代のイギリスに始まり、機密文書の公開という世界的な潮流の中で注目を集めて、1990年代以降、欧米の主要大学で情報史やインテリジェンス学の学部・学科あるいは専攻コースが次々と設けられるようになりました。

インテリジェンス・ヒストリーという学問の存在を私に教えてくださったのは、京都大学の中西輝政名誉教授です。名著『大英帝国衰亡史』(PHP研究所/1997年)で知られる国際政治学者および歴史学者です。

中西名誉教授は、インテリジェンス・ヒストリーという学問について、2017年に行った私との対談の中で、次のように述べています。

「インテリジェンスは『知性』という意味でもあります。日本ではインテリジェンスは秘密情報を扱うとか、単なる情報の話にされてますけど、本来はきちんとしたモノの見方、考え方、世界観、価値観、歴史観、自分の知的な立脚点をもう一度持って、『これで本当に正しいのか』という問いかけを絶えず行う、自分を確立した人間が扱えるものです」

より厳密にいうと、「インテリジェンス」について中西輝政名誉教授は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引用しながら、次の3つの意味があることを説明しています(『情報亡国の危機』東洋経済新報社)。

第一に、インテリジェンスとは、国策、政策に役立てるために、国家ないしは国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容を指す。

いわゆる「秘密情報」、あるいは秘密ではないが独自に分析され練り上げられた「加工された情報」、つまり生の情報(インフォメーション)を受けとめて、それが自分の国の国益とか政府の立場、場合によると経済界の立場に対して、「どのような意味を持つのか」というところまで、信憑性を吟味したうえで解釈を施したもの。

第二に、そういうものを入手するための活動自体を指す場合もある。

第三に、そのような活動をする機関、あるいは組織つまり「情報機関」そのものを指す場合もある。

インテリジェンスにある4つの分野

そして、中西名誉教授は、このインテリジェンスが担当する分野は、大まかに言えば、次の4つであると説明しています。

第一は、情報を収集すること。これは相手の情報を盗むことも含まれている。

第二は、相手にそれをさせないこと。つまり防諜や「カウンター・インテリジェンス」という分野である。敵ないし外国のスパイを監視または取り締まることで、その役割は普通の国では警察が担うことになる。

第三は、宣伝・プロパガンダだ。プロパガンダには、「ホワイト・プロパガンダ」と「ブラック・プロパガンダ」があるといわれる。前者は、政策目的をもってある事実を知らしめる広報活動を指す。それに対して後者は、虚偽情報などあらゆる手段を使って相手を追い詰めていく活動だ。いわゆる完全な外交工作ゲームである。

第四は、秘密工作や、旧日本軍の言葉でいえば「謀略」行為を行うことだ。CIAはこれを「カバート・アクション」と呼び、ロシアでは「アクティブ・メジャー(積極工作)」と称することがある。

要は、インテリジェンスには、以上の3つの意味と4つの分野があるわけです。

そして、このインテリジェンスを踏まえた近現代史研究であるインテリジェンス・ヒストリーの学部や学科、専攻コースを設置して本格研究を進める動きは英語圏にとどまらず、オランダ、スペイン、フランス、ドイツ、イタリアなどにも広がっています。けれども、なぜか日本だけはこうした世界的動向から取り残されているのです。

中西輝政先生らの懸命な訴えにもかかわらず、残念ながら日本のアカデミズムの大勢は、こうした新しい動きを無視しており、インテリジェンスに対する理解も一向に深まりません。

そこで、こうした世界の動向を紹介すべく2016年に『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)を上梓しました。この本において、アメリカは一枚岩ではなく、ルーズヴェルト民主党政権の対外政策とソ連の秘密工作との関係について、当時野党であった共和党の政治家たちが厳しく批判していた事実を紹介しました。

その続編として2017年に『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ、2019年にワニブックスから新書版を発行)を上梓しました。この本は、著名な政治学者であるスタントン・エヴァンズと、インテリジェンス・ヒストリーの第一人者であるハーバート・ロマースタインによる共著『Stalin's Secret Agents(スターリンの秘密工作員)』を踏まえたものです。

エヴァンズらが書いた原著は、日米戦争を始めたのは日本であったとしても、その背後で日米を戦争へと追い込んだのが実はソ連・コミンテルンの工作員と、その協力者たちであったことを指摘しているのです。

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。