「ヴェノナ文書」「リッツキドニー文書」などの機密文書の情報公開などにより、さまざまな事実が明らかになっています。ソ連の対米秘密工作の実態もそのひとつ。ベールに包まれていた機密文書が公開された経緯を、評論家・情報史学研究家の江崎道朗氏が近現代史認識のグローバルトレンドを交えつつ語ってくれました。

国家機密に関わる公文書も30年で公開

アメリカで、いわゆる国際共産主義研究が一定の市民権を得るようになったのは、1991年にソ連邦が解体したあとです。

それまで国際共産主義に関する研究は、元米国共産党員の証言やFBIなどによる調査報告書などに基づいて行われていて、ソ連側の公文書を利用することができませんでした。ソ連側が情報を公開しないので、なかなか研究が進まなかったのです。

アメリカを始めとする民主主義国家では「30年ルール」と言って、国家機密に関わる公文書も30年が経つと、原則として公開することにしています。

例えば、奈良岡聰智京都大学教授は次のように指摘しています。

欧米先進諸国では、作成後30年たった重要公文書を国立公文書館で永久に保存し、原則公開するという「30年ルール」が定着している。公文書を作成直後に公開するには様々な支障があるが、30年=おおむね一世代が経過するとハードルはぐんと下がる。欧米先進諸国には、30年が経過すれば、政府は重要公文書を原則公開するという信頼感があるように見受けられる。

最近はその期間が縮小される傾向にある。英国では10年の法改正で30年ルールが「20年ルール」に改められ、現在は23年の全面施行に向けた移行期間となっている。(中略)もっとも英国や米国でも、あらゆる文書が公開されるわけではない。英国では、外交・安全保障、王室や個人情報などに関係する文書には、公開されないものもあることが法律でルール化されている。作成から数十年を経た歴史的公文書であっても、情報公開請求に対して非開示の回答は珍しくない。「公開するのも、公開しないのも、公益だ」という判断なのである。[2018年8月29日付 日本経済新聞デジタル]

時の政府が国益のために、国民に知らせずに秘密の外交や軍事作戦を実施することがあるが、その秘密の外交、軍事作戦についても30年が経った段階で公開し、その是非について国民の審判を仰ぐことが民主主義だと考えているからです(その意味で、日本はそもそも公文書を保管するルールも十分に確立しておらず、情報公開制度も不十分であり、アメリカ流の民主主義国家とはとても言えない)。

一方、共産党による一党独裁を掲げ、民主主義国家ではないソ連は、機密に関わる公文書を一切公開しようとしませんでした。そのため、国際共産主義とソ連との関係についての研究も資料的な制約があって、困難を極めていました。

幸いなことに1991年にソ連邦が崩壊し、ロシアのボリス・エリツィン政権時代に、ソ連、国際共産主義の対外工作に関する文書が「ロシア現代史文書保存・研究センター」において公開されるようになったのです。

いわゆるリッツキドニー文書の公開によって、ソ連の対米秘密工作の実態がようやく判明するようになりました。

▲反クーデター勢力の勝利を祝うエリツィン(1991年8月22日) 出典:Kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)

発見の瞬間は映画のワンシーンのようだった

「ロシア現代史文書保存・研究センター」において、アメリカの著名な歴史学者であるハーヴェイ・クレア(エモリー大学名誉教授)と、ジョン・アール・ヘインズ(連邦議会史料部「二十世紀政治史担当主任歴史官」)が、米国共産党に関する秘密文書を発見したときの様子はなかなか劇的です。

我々が「リッツキドニー」に通うようになってしばらくした時、ある文書館員が我々に対し、「もしかしたら、あなた方は米国共産党(CPUSA)の文書にも関心があるのでは?」とたずねてきた。我々にとって、そもそも、モスクワに米国共産党のオリジナル文書が存在している、ということ自体が驚くべき新発見だった。

というのも、アメリカ国内には、そんな文書類はなかったからである。たしかに我々歴史家の間では、冗談で「米国共産党の文書はモスクワに隠されているんだ」といってはいたが、まさかそれが本当だったとは、誰も思ってもみなかったのである。米国共産党が、そこまで完全にソ連の支配体制の一部に成り下がっていたとは想像もしていなかったからだ。

文書館のスタッフの説明によると、米国共産党文書は、ソ連時代、ほとんど誰も閲覧する者がなかったので、遠く離れた倉庫に収納されている、とのことだった。しかし、彼らの言う「米国共産党文書」なるものに、はたして党本部のファイルまで含まれているのだろうか。もしかしたら、ごくわずかの米国共産党からの報告書と同等の機関紙である『デイリー・ワーカー』の黄ばんだ古新聞くらいのことではないか、と我々は疑っていた。

ところが、倉庫から取り寄せたその文書が「リッツキドニー」の閲覧室に届き、その「ごく一部だけ」だといわれるものが、いくつもの台車に積まれて運ばれてきた量を見て、我々は本当に腰を抜かした。結局、それは全部で4300以上のファイルに上ることがわかった。

そこで早速、我々はフォルダーの上にたまった部厚いホコリを吹き払って、くくってあったフォルダーのリボンを解き、中にある文書を調べ始めた。ロシア人のスタッフが言った通り、それらは米国共産党文書のオリジナルだったのであり、ずっと以前に極秘裏にアメリカからモスクワに運ばれてきたものだった。[ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:著/中西輝政:監修『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』2019年/扶桑社]

1995年、クレアたちはこのリッツキドニー文書を使って『アメリカ共産党とコミンテルン』を発刊し、国際共産主義研究に一石を投じました。

その同じ年、もう一つ、国際共産主義運動の実態を解明するうえで重要な文書が、アメリカ政府の国家安全保障局(NSA)、連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)によって公開されました。それがヴェノナ文書です。

ヴェノナ文書というのは、1940年から1944年にかけて在米のソ連のスパイたちが、本国と暗号電文でやりとりしていたものを、当時のアメリカ陸軍が傍受し、FBIやイギリス情報部の協力を得て解読した3,000ページもの機密文書群のことです。