「EUにとって安全にする」ことがEaPの目的

EaPの主眼は、旧ソ連諸国に民主化やガバナンスの改善といった国内改革を迫ることと引き換えに、「高度かつ包括的な自由貿易圏(DCFTA)」を結んで、EUとの通商や人的往来を自由化するというものであった。言い方を変えれば、拡大EUのすぐ隣に存在する不安定な新興独立諸国を「EUにとって安全にする」ことが、EaPの目的であったと言えよう。

しかし、DCFTAは参加国の経済政策を強く縛るものであるために、排他的な性格を有していた。つまり、DCFTAへの参加は、ほかの経済連合(たとえばロシアの関税同盟)への加盟とは両立しないということである。

RAND研究所のチャラップとハーバード大学のコルトンの表現を借りるならば、これは「ロシアと欧州の双方とつながりを持っておくという、多くの国々がそれ以前に追求していた中間的オプションを排除する」ことを意味していた。

ロシアが抱く「勢力圏」の観念と、ここまで述べたENPの排他的性格とを考え合わせれば、これがロシアにとって極めて面白くないものであったことは明らかであろう。2009年、ミュンヘン国際安全保障会議に出席したロシアのラヴロフ外務大臣は、EUによる勢力圏拡大の試みであるとして、EaPを強く非難した。

欧州諸国は、こうしたロシアの反応こそが古めかしい勢力圏思想の表れであるとして、一蹴する姿勢を示したが、ポーランドやバルト三国といった新規EU加盟国の対露脅威認識が、EaPに反映されていなかったとは言えまい(ただ、EUが明確な対露封じ込めという観点からEaPを推進したかと言えば、そこまで明確なコンセンサスは存在しなかったというのが実情であるようだが)。

ロシア自身も、EaPを勢力圏に対する挑戦と受け止め、DCFTA参加交渉を始めていたアルメニアやモルドヴァからの食品輸入を禁じるなどの措置をとり始めた。

▲セルゲイ・ラブロフ 出典:2019 Comprehensive Test-Ban Treaty Article XIV Conference(ウィキメディア・コモンズ)

なかでも、ロシアにとって受け入れがたかったのは、ウクライナのヤヌコーヴィチ政権までが、EaPに基づくDCFTAへの参加の意向を示したことであった。これに対してロシアは、ウクライナ産の農産物の輸入制限をかけるとともに、ウクライナに対する最恵国待遇の廃止を示唆するなどの脅しをかけ、関税同盟への加盟を吞ませようとした。

さらにロシアは、150億ドルに及ぶウクライナ債の購入と、ウクライナ向け天然ガス価格の割引(1000立方メートルあたり400ドルであったものを268.5ドルへ)によって、ヤヌコーヴィチ政権を翻意させ、DCFTAの具体的内容を定めた連携協定に調印する一週間前に、調印撤回の方針を採択させることに成功する。

ヤヌコーヴィチの翻意には、職権濫用で収監されていた政敵のティモシェンコ元首相の釈放問題をめぐるEUとの葛藤も影響を与えたようだが、他方、ヤヌコーヴィチの狙いは、ロシアから利益を引き出すことであり、連携協定への締結は最初から考えていなかったという見方もある。

ここで成立した合意は、あくまでもウクライナがEUとの関係拡大に踏み出さないというものであり、ロシア主導の関税同盟や、その他の枠組みに参加するというものではない。それでも、ウクライナが西側の政治・社会・経済的枠組みの中に組み込まれることは、ロシアにとって許容しがたい事態だったのであり、多額の経済的代償を払う価値はあったということなのだろう。

▲ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ(左)とロシアのドミートリー・メドヴェージェフ 出典:Kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)