社会経験を重ねていくなかで、“自分の名前を取り戻すこと”への手ごたえをつかみつつあった福田健悟。そんな彼の前に1人の女性が現れた。さらに友人からの電話がきっかけで人生初のキャバクラに――その先に待っているのは果たして天国か地獄か? 「45」におさらばするための苦闘はまだまだ続く。

恋愛とお笑い――自分はどっちの道に進むべきか?

ひょっとしたら、永久に名前を取り戻すことができる日は近いかもしれない。そう思っていた矢先に、1人の女性と出会う。地元の男友達の家に行って遊んでいるときに、同級生の女の子と会った。

その男友達には双子の姉がいて、彼女は姉のほうに会いに来ていたのだ。あまり喋ったことはなかったが、改めて話すと共通点が多かった。趣味や好きなものや、嫌いなこと。話は盛り上がった。次第に僕は彼女に惹かれていく。連絡先を交換して、会う回数が増えるにつれて、深い話もするようになった。

その時に、彼女が癌を患っていることがわかった。漢方や薬で治療していて、ストレスのない生活が求められている。働くこともできずに、周りの友達が忙しくしているあいだは、1人で悶々としていたらしい。それを聞いて僕は、バイトのあとや、休みの日に彼女を誘うようになった。

だが、彼女には彼氏がいた。2人が会っていたのは日曜日だけ。彼氏の仕事の休みが、日曜日だけだったからだ。彼女には平日に連絡をした。深くなる関係。当たり前のように、名前で呼ばれることはなくなった。

「45は、私に彼氏がいても平気なの?」

「そうだね。そういうの、俺あんまり気にしないから」

強がりだった。芸人の夢を捨てきれずに、バイトで生計を立てている自分に反して、彼女の彼氏は立派な社会人。仮に僕が奪っても、幸せにはできない。それでも今は、ひとりで鬱々としている彼女の支えになってあげたい。それが本当の愛だと思っていた。

日曜日になると、頭の中で考えてしまう。彼女は元気にしているだろうか? 彼氏と楽しく過ごしているだろうか? 僕のことは忘れて笑っているのだろうか? そんな思いも月曜日には忘れて、幸せな時間がやってくる。この繰り返しだった。こんな日々が、長く続くはずはない。

「パフェが食べたいなぁ」

「あぁ、パフェかぁ。確かにおいしそうだけど、スイーツ系は体に良くないんじゃなかった?」

「ふぅん。じゃあ、いいや」

一緒にいる時でさえ、自分の不甲斐なさを感じるようになった。好きなことをさせてあげることもできなければ、医者でもない自分は治療をすることもできない。誰かに話を聞いてもらいたかったが、誰にも言えない。ギャング時代と違って、今の僕には地元の友達しかいない。地元の友達は、彼女に彼氏がいることを知っている。噂が広まったところを想像すると、悪い未来しか思い浮かばない。

こんな思いを、ひとりで抱え込んでいるうちに、彼女の前でもうまく笑えなくなっていた。そんな僕を見て、彼女も笑えなくなっていた。ただでさえ苦しんでいるのに、自分まで負担になるなんて耐えられない。もうダメだ。これ以上は続けられない。理由を説明しても同情を誘うだけ。何も言わずに離れよう。

最後の日。いつものように車で彼女を送った。違ったのは、車から降りるときの彼女の言葉。別れ際に『またね』と言うのが通例だった。

「じゃあね。健悟」

偶然だったのか、何かを察していたのかはわからない。それに普段なら番号で呼ばれるのに、今日は名前で呼ばれた。こんなことになるなら、永久に名前を失ったままで良かった。彼女から離れることが、正しいことだなんて思いたくなかった。いけないことだとはわかっていた。

番号で呼ばれないように、人間関係に気を張っていれば、次の相方とうまくいくはずだった。芸人としての今後を考えたときに、名前は取り戻すべきだった。それなのに、彼女と一緒にいられるなら、名前を失ってもいいとさえ思っていた。全てが中途半端だった。運転中の車の中で流れるブルーハーツの歌が、自然と耳に入る。

歌詞が次のフレーズに進むたびに、心の振動は激しさを増していく。本当は、彼女と日曜日も一緒にいたかった。彼氏と別れてほしかった。芸人を諦めることさえできれば、言うことができた。「俺と付き合ってくれない?」彼女が教えてくれた。今の僕には、芸人の道しか残っていない。恥も外聞も捨てて、舞台に立たないとダメだ。