北方領土は日露だけでなく米露関係の問題でもある

このように、北方領土は核抑止という最上位の軍事戦略と密接な関連性を有する地域であり、これについてロシアが安全保障上の懸念を表明することには、一定の軍事的合理性を認めなければなるまい。

他方、このような懸念が対日交渉において、実際にどの程度の影響を有するファクターであるのかは、別途検討を要する。この点を、純軍事的側面、二国間交渉戦術としての側面、よりグローバルな側面に分けて検討してみよう。

純軍事的に言えば、北方領土の引き渡しが極めて好ましくないことは明らかであろう。それは有事にロシアの核抑止力を脆弱化させるものであり、特に国後・択捉両島の引き渡しは大きな危険性を孕(はら)む。現状で配備されているA2/ADアセットを放棄せねばならないばかりか、かなり大規模な日米の軍事的アセットの展開が可能となるためである。

色丹島および歯舞群島にはロシア軍が配備されておらず、地積の小ささから言っても日米の大規模な軍事的アセットの展開も困難であるが、電波傍受施設や水中聴音システムの展開、上空における偵察機の飛行といった可能性を考慮すれば、軍事的にはロシア側が確保しておくに越したことはない。

ただし、以上は純軍事の論理であって、これをロシア側の示す政治的態度の根本原因であるとみなす理由はない。経済や外交といった、その他のファクターを総合的に考慮してメリットが上回ると判断されれば、軍事の論理では好ましくない決定であっても採用するのが政治の論理である。

2001年の米国同時多発テロ事件に際し、プーチン政権が中央アジアへの米軍展開を認めた事例や、サンクトペテルブルクから目と鼻の先にあるバルト三国のNATO加盟を認めた事例などは、ロシアにおいても時として政治の論理が軍事の論理を上書きしうることを示している。

したがって、ロシア側が軍事の論理を前面に押し立ててくることは、文字どおりに解釈されるべきではない。ロシアの軍部が抱いている懸念には偽りがないとしても、そのような懸念がロシア側のレバレッジとして利用されている可能性は(立証することは困難であるが)常に留意されるべきである。要は「安全保障上の懸念」を唱えることで、交渉を有利に進めようとしているのではないかということだ。

さらにロシア側の提起する懸念には、純軍事的な根拠の乏しいものもある。日韓のMD計画(日本のイージス・アショア配備計画および韓国へのTHAAD配備)を北方領土と結びつける言説などは、その典型であろう。

オホーツク海は、対米核抑止力の基盤としての意義を有するが、この場合、オホーツク海から発射される潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)は北回りの大圏航路をとるため、日本や、まして韓国のMDシステムは全く無力である。

これは、ロシアの内陸部から発射される大陸間弾道ミサイル(ICBM)についても同様であって、日韓のMDがロシアの核抑止力を脅かすという議論は全く妥当しない。そもそも、こうした活動の大部分は北海道からも可能であるが、現状で米軍が北海道に展開していないことは、ロシアの主張に純軍事的な裏付けが乏しいことを示している。

唯一考えられるシナリオは、MDシステムを搭載した日米のイージス艦が、オホーツク海や北太平洋に展開する場合であろう。ただ、ロシアの戦略核戦力は大規模かつ重層的なものであり、少数のイージス艦で無力化できるようなものではないうえ、そもそも北方領土は関係ないということになる。

▲雲海に浮かぶ北方領土 出典:yamainu / PIXTA

他方、よりグローバルな側面、言い換えるならば対米関係上の側面からは、また別の構図が見えてくる。ワルシャワ条約機構解体後に旧加盟国がNATOに加盟し、米軍基地が設置された歴史的経緯は、ロシア側にとって「裏切り」と映った。

前世紀から続く、こうしたロシアの対米不信を考えるならば、北方領土をめぐる安全保障上の懸念は、単に日露二国間のそれに留まらず、よりグローバルな米露関係の影響を受けたものと考えられよう。この意味では、過去数年間の劇的な米露関係の悪化は、日露交渉を強く制約する要因であると言える。