2019年まで中日ドラゴンズ二軍監督を務めていた小笠原道大氏(現・北海道日本ハムファイターズの一軍ヘッド兼打撃コーチ)は、アマチュア時代こそ華やかな経歴を歩んでこなかったが、プロ入りしてからは早い段階で一軍に定着した。そんな小笠原道大氏が中日ドラゴンズで二軍監督を務める際に生きた、現役時代の経験について語ってもらった。
※本記事は、小笠原道大:著『二軍監督奮闘記』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。
骨折中に打ったホームランで一軍に定着
プロ1年目の私は内野手登録でした。編成としては、キャッチャーとしての守備力にはあまり期待はしておらず、バッティングと俊足を生かして内野の一角を狙ってほしいという願望があったのだと思います。
しかし、その内野にはあまりチャンスがありませんでした。
この年ジャイアンツから移籍してきた落合博満さんがファースト、セカンドは堅い守備力で高卒4年目にしてすでにレギュラーを確保していた金子誠くん、サードには強打者の片岡篤史さんがいて、ショートは「ミスター・ファイターズ」田中幸雄さんがいます。ここに割って入るのは難しいように感じました。
そんな中、私はキャッチャーとして試合に出ることが多くありました。当時の上田利治監督はご自身も捕手出身だったこともあり、チーム内の激しい競争によりキャッチャーのレベルアップを目論んだのではないかと思います。
そして2年目は、捕手での登録となりました。キャンプから一軍スタートで、代打と控えキャッチャーという形で試合に出ていたのですが、またしても5月、今度は守備中に左手人差し指を骨折してしまい、一軍登録を抹消されました。
ところが、登録抹消からまだ日が浅く、骨折も完治していないというタイミングで、なぜか一軍昇格となりました。仕方がないので指をガチガチに固定したまま打席に入ったら、それがホームランになり、以降は一軍に定着することとなります。
ただし、一軍にいるというだけで、若手が二軍でやるような強化練習を一軍でやっていました。早出、居残りでバッティング練習や強化トレーニングを継続する習慣は、もうこの頃からやっていました。
こうした練習は、やらされたというより、自分からやったと言えます。高卒で入って大活躍している選手も多い中、後ろから追いかけているという意識だったので、やらなければ追いつかないという思いがありました。
もちろん、当時のコーチングスタッフが、一軍に置いていても、プロの体づくりをしっかりやって、体力を強化して、細かい技術練習もしっかりやらせようと徹底してくれたのもありました。今思うと、非常にありがたいことでした。