つらい状況を耐えたその先に本当のチャンスがやってくる。ガラガラの会場、ブーイングの嵐、会社の身売り……。存亡の危機にあった新日本プロレスを支え続け、プロレスファンからの罵倒を乗り越え、不動のエースになった「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、言葉を力にして立ち上がった。棚橋弘至が、その“力強さ”と“怖さ”を語る。
まだ僕がプロレスファンだった頃、プロレスラーが大会中継以外の番組に出演していると、とても嬉しかった。それは今でも変わらない。真壁刀義(まかべ とうぎ)さんや本間朋晃(ほんま ともあき)さん、獣神(じゅうしん)サンダー・ライガーさんが映ると、ニコニコ顔で観ている。
ライガーさんがバラエティ番組で、芸人のアキラ100%さんの持ちネタにトライしていたのを観たことがある。裸でどんなに動いても股間はお盆で隠し通すという、あの芸だ。
マスク以外は一糸まとわぬ姿のライガーさんが、お盆片手に孤軍奮闘するのを目にしたとき、「この人には一生足を向けて寝られない」と畏敬の念を抱いた。
ライガーさんは大ベテランながらも、常に練習でのたゆまぬ向上心、試合での探究心を見せてくれる。そして、お盆芸での羞恥心……は、ないのかもしれないが(笑)。とにかく、その振り切り具合には感服の一言だった。
僕も常々、大会中継以外にもテレビに出たいと思ってきた。
その理由は三つある。
一つは「有名になりたかった」からだ。これは新日本プロレスに元気がなかった時代に「俺がなんとかする!」と決意したとき、最初に考えたことだ。それしか方法がないと思っていた。
試合のプロモーションで各地を回ったが、扱ってくれる媒体はかなり限られている。地方ラジオ局の番組出演やタウン誌の取材など、軽いフットワークであちこち出向いた。
もちろん、地道な活動がとても大事なことだとわかっているが、他にも何か大きな仕掛けができないかという気持ちは強かった。「もっと自分が有名になれば! そうすればいろんなところに呼んでもらえるはずだ」と。
2006~2010年頃、僕はメインで勝ったときには必ずマイクをつかんで、こう宣言していたものだ。
「クソ有名になります!」──。
テレビに出たいと思ったもう一つの理由は、「プロレスの会場を満員にしたかったから」だ。あたりまえのことだが「知らない人を会場に観にいこう」とは絶対にならない。
昔『ワールドプロレスリング』の中継が毎週金曜夜8時に放送されていたときは、多くの人たちがアントニオ猪木さん、長州力(ちょうしゅうりき)さん、藤波辰爾(ふじなみたつみ)さんを知っていて「有名なプロレスラーたちが近くの体育館に来るから観にいこう!」という黄金法則ができ上がっていた。
しかし、プロレス番組の放送時間帯が深夜に移動してから、この法則は成り立たなくなった。それならば時代の変化に柔軟に対応するため、違うアプローチが必要になる。
「テレビに出る」→「知名度が上がる」→「会場へ」……と簡単にはならないが、知ってもらうことが第一歩なのは不変だ。今はSNSも進化しているし、YouTubeもあるので、テレビが絶対ということはないかもしれない。それでも、とくに地方の会場では今も地上波の力は強いと感じる。
僕がテレビに出演すると、岐阜の母が嬉しそうに連絡をくれる。周りの知り合いから「弘至くん、テレビに出とったね」と言われるそうだ。大学に行かせてもらったのに突然「プロレスラーになりたい!」と言い出し、何かと心配を掛けてしまったので、少しは親孝行できているのかなと思う瞬間だ。
これは僕の経験なのだが、人はテレビを通して知っている有名人を直接見ると「うわっ!」と驚くものだ。某美容室に行ったとき、長身の俳優さんが入ってきてミーハーな僕はすぐに気づき、とても高揚した。
なぜ高揚感が生まれたのか? それはドラマや映画で何回も何回もその人を見ているからだ。
「そうか! 顔を何回も見てもらうことは、ここに繋がるのか!」──。
それ以来、僕はブログ、Instagram、Twitterなどに自分の写真を意識して多く載せるようにしている。自分以外に若手選手の写真を多く載せるのも、彼らの知名度を少しでもアップさせるためだ。
とにかく、まずは知ってもらうこと。どれぐらいの人が知っているかで、そのジャンルの規模は決まる。
あともう一つ、テレビに出たい理由を挙げるならば、プロレスラーを夢見る子どもたちに“未来”を示したいからだ。
試合以外にもテレビに出ることができて有名になれる。
「まだ、プロレスにも先があるんだぜ! 他のプロスポーツ選手にも負けないんだぜ!」──。
そう思ってもらえれば、プロレスラーになることがゴールではなく、一つのスタートにもなる。プロレスラーになりたい子どもたちが増えれば、ジャンル自体が盛り上がる。これはどの仕事、どの業種にも当てはまることだと思う。
先ほども書いたが、いまはSNSなど、個人で発信する手段がたくさんある。まずは多くの人に知ってもらうこと。そこから広がる可能性は無限大だ。
※本記事は、棚橋弘至:著『カウント2.9から立ち上がれ!(マガジンハウス刊)』より、一部抜粋編集したものです。