豊かな自然を持つ高山が魅力的な中欧の小さな国、リヒテンシュタイン。のどかなこの国にも、少しロマンチックな心霊切手が存在する。シェレンベルクの城塞跡が描かれた切手。城壁に見える「顔」が、人々の想像力でたちまち国中に広まっていきました。

いわゆる心霊写真とされるものの多くは、多重露出など撮影者側の問題や、フィルムを現像する際の暗室作業のミスなどにより、現像された写真に“霊現象”のようなものが出現したものが“心霊写真”とされる。多くはフィルムカメラの時代ならではの産物だった。同様に、現在に比べると製版・印刷技術が未熟だった時代の切手には、結果的に心霊現象が現れたかのように見えるものがいくつかあるのだ。

※本記事は、内藤陽介:著『本当は恐ろしい! こわい切手​』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。

想像力が掻き立てられるロマンが溢れた心霊切手

スイスとオーストリアに挟まれた欧州の小国、リヒテンシュタインは、オーストリアの貴族だったリヒテンシュタイン家がその財力を活かし、1699年にシェレンベルク男爵領を、1712年にファドゥーツ伯爵領を購入し、1719年、神聖ローマ帝国の諸侯となって建国した。

その後、ナポレオン戦争中の1806年に神聖ローマ帝国が崩壊すると独立国となり、1815年にドイツ連邦に加盟。1852年にオーストリアと関税同盟を締結し、1866年の普墺戦争を経てドイツ連邦が解体されると、戦後の軍縮交渉に便乗して1867年、非武装の永世中立国を宣言したこともあり、その後は、事実上、オーストリアの一部とみなされていた。

▲リヒテンシュタイン 地図:sakura / PIXTA

第一次大戦の結果、ハプスブルク帝国が崩壊すると、1919年、リヒテンシュタイン家はオーストリアとの関税同盟を解消したうえで、スイスとの合意により軍事・外交をスイスに委託。さらに、1921年には憲法を改正してスイスフランを通貨とし、1923年にはスイスと関税同盟を結び、国境にはスイスの関税官が常駐することになった。

こうして、リヒテンシュタインは経済的にはスイスと一体化する一方、タックスヘイブンとして、税金免除を目的とした外国企業のペーパーカンパニーを積極的に誘致。この結果、人口よりも法人・企業の登記数が多いという状況で、そうした企業の納める法人税(税収の四割を占めている)により、一般国民は直接税(所得税、相続税、贈与税)が免除されている。

なお、リヒテンシュタインはEUとの課税に関する条約に調印していることから、国内にあるEU市民の預金に関しては利子に課税されることになっているが、リヒテンシュタイン政府は預金者の情報を相手国に通知せず、一括して課税分を相手国に支払うという措置を取っている。

このため、スイス系の企業の中には、書類上、リヒテンシュタインに本社を置いて活動しているケースも少なくない。また、リヒテンシュタインに住居を置き、そこからスイスに通勤する人も多い。

さて、リヒテンシュタインが1937年に発行した40ラッペン(1スイスフラン=100ラッペン)の普通切手には、シェレンベルクの城塞跡が取り上げられたが、その壁の左端には男の顔のように見える部分があり、切手が発行された当時、騎士の亡霊ではないかと話題になった。

▲リヒテンシュタインが発行したシェレンベルクの城塞跡の切手

切手に取り上げられた城塞跡は、13世紀に建設され、14世紀の資料にはたびたび登場していたが、16世紀には廃城となり無人のまま放置されていた。

第二次大戦後の1956年には、歴史的に重要な建造物に指定されるが、切手が発行された当時は地方遺跡の一つに過ぎなかった。それだけに、廃城に現れる騎士の亡霊という物語は、多くの人の想像を搔き立て、噂が広まったのだろう。

▲“騎士の亡霊”の部分